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「俗中聖あり」
「俗中聖あり」
普段何気なく見ている風景や、光景が不意に違ったものに観えたりする時がある。
私達の魂はその時々によって「観たもの」に共感、感動する。
一般で言う「琴線に触れる」と言われるものである。
私がまだ17歳の時、兄が精神のバランスを崩して入院した。
自分の身内を精神病院に入院させる、ということは何とも言えぬ感情が湧く。
私は中学を卒業してから建築現場でアルバイトをしながら独学で絵画の修行をしていた。
既に15歳の時に重労働のせいで腰痛が持病になっていた。
満員電車に揉まれながら石垣の間から小さな花が見えた。
私は不意にある制御出来ぬ感情、感動に襲われた。
自分自身の状況と重ねた部分と、その雑草の生命力の逞しさ等が絡み合って生じた感情であろう。
私は決着のつかぬ問題があると、自分の肉体を極限まで、激しく痛めつけるか、食を断つかで諸問題を決定していた。
常に生き死にという問いを見据えること。
日常の全ての前提は「死生観」を基本としたシンプルな考え方が私の社会での人間関係の処し方であった。
自分自身が問題になる場合は意識の切り替えは簡単であった。
やがて弟までも17歳でバランスを崩した。
私の眼前で自分の兄弟が別人格に変化する。
そのプロセスを冷徹に観る事。
これは精神の試練、修行といえば確かにそうである。
幼い時の村八分よりも如何ともし難い苦痛があった。
個人の魂・精神は極限の状況においては世界の見え方が変る。
物言わぬ何気ない風景、光景が何とも言えぬ感情を生じさせる。
私は自分が天涯孤独に生まれたらさぞ清々するだろう、と何度も思ったものだ。
意識の切り替えにおいては天性のものがあったから。
両親の離婚の時も「この人はもう他人だ」と一晩で切り替えられた。父は号泣し「石に噛り付いても」等といいながら私達子供を抱きしめていたが。
私は「この状況は泣かねばならぬ」と嘘泣きをした。
父を同情したのは、その時の一度限りではあるが。
ランボオを知った時も「これは私の日常的意識だ」と思った。
だが、現実はそうではなかった。
これはニーチェもそうである。
近代以降の個人の受難劇の始まりであった。
*おまけです。。
私の10歳時の作品は数点しか残っていない。
当時は残す必要は無いと思っていた。
さらに、殆どは引っ越しの時に捨てた。
17歳の時のクロッキー
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18歳の時の自画像
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*さらなるおまけ、、。。
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