さっき街道沿いの夜マックの2階で、
shivaさんと、いつのまにか写真と詩について、とりとめもなく次々に浮かぶ話を、
まるでコルクボードにピン留めして線で結ぶような会話をしていた。
ふと思い出した、「銀色夏生」を僕が挙げると、shivaさんは軽く検索の指を動かしながら
「知らないけど…へぇー」 と言って、 こんな寒い日にコールドドリンクを飲み干した。
家に帰ってしばらくして届くLINE。
「銀色夏生ってなんか聞いたことあるなぁと思ったら、高校時代カラオケで歌ってた大沢誉志幸の “そして僕は途方に暮れる” の作詞じゃない!!」
僕が持っている銀色夏生は、
「わかりやすい恋」
モノクロに白い縁、表紙に一枚の写真。砂利の細い下り坂の道脇を、"彼女"が少しヨロっとバランスを取りながら、"僕"の方へ歩いてくる。
足元を気にしながら目線が下へいっている"彼女"を盗み見て、
もう見慣れているはずなのに、
初めて会った日のように、
一瞬、"僕"の時間が止まる。
そんな表紙。
からはじまる、その日二人がそこにいた記憶。
言葉も並んでいるので、短い"読み'"ものではあるけれど、
少し"飲み"ものにも近いような。
飲みたいのは○○飲料じゃなくて、
いまは何だろうな?って時に飲んだミネラル水。
写真と詩のちょうどよい厚み。
ただ、長すぎる時が経つと、その水を飲んだ懐かしみある感覚は覚えていても、味まではうまく説明できない。
覚えているのは、
ページを開くと耳鳴りのようなニイニイゼミの声と、
漠然と浮かぶ、そこにいない誰かの横顔。
どんな詩が綴ってあったのか、
細かいところの全てがまるで"余韻"に変わってしまったかのよう。
でも、きっとまだ捨ててない。
引越しの段ボールの箱のどれかに入って、また一緒に旅して来ているはず。
思い出があり過ぎて、振り切るように、捨ててくるモノ。
記憶の断片がおぼろげで、なぜか捨てる理由を探しそびれて、そこにあるモノ。
1つずつ荷をほどいて、
麦わら帽子の、まだ誰も知らない頃の森高千里の表紙を見つけたら、
貸してあげるよ、shivaさん。