浅葱斑傳(アサギマダラ伝)肆(四)。写真の隅にやどる「三角形」。想像の翅を持つ蝶が連れてきた謎。
この話を載せるべきかどうか、迷っていた。
ここ数日、仕事の寸時の休憩の折や、昼食を摂った後の少し目を閉じた瞬間などに、休もうと思ってもつい、その事について逡巡した。
その理由は、これからする話が、少々重い話だからだ。先日来のこのアサギマダラの話を読み返すと、初回、私は遅筆ながらも、その一編をもって完結させるつもりで書いているのがわかる。
👇 初回の記事はこちらです。👇
今日から書く話を、当初は、人に話すものでもないと、そこの部分は一切省略して、写真鑑賞経験談の楽しい最後の答え合わせ部分だけを紹介するつもりだったからだ。
ところが、流れで2編めを書くまでの2日間のあいだに、
A)ほのぼの楽しい部分のみを切り取った編集済みの単編として、読者に、ただその瞬間を楽しんでもらうのか。
それとも、
B)試行錯誤したダークな過程も全部さらけ出して、読者に、一緒に痛みごと考えながら味わってもらうのか。
の2択で、悩みだした。
結論は出ぬまま、2編めを書き出した。
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文末で、算数の授業だ!と茶目っ気のある言い回しでオブラートに包んだままほのめかし、そこに踏み込むか否かにまだ迷う決断を、読者の方への継続許可の問いかけで、預けて逃げた。
ありがたくも怖くもある、少しばかりの反応をいただき、つづく3編でガス抜きと称し、他愛のないおしゃべりをして一呼吸置いた。
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そして、改めて、私は後者、
B)の選択をすることにした。
こう決めたことで、読者の方には、先にお伝えしておかなければならない。
これが仮にドラマや映画なら、起承転結で順序良く、気持ちよく進んでいくのだろう。
ただこの話は、
幼少期から私の「腦内で起きている習慣」を、
ある日のある瞬間を、
「その時のまんまの時系列」で述べていく。
この写真「乙女心」を観た時の流れは、起➜転➜承転結。
いや最初の「転」は、いきなりアサギマダラたちが全滅、倒れてしまうから、転倒の「倒」。
起➜倒➜承転結だ。
このことを、ご了承のうえ、
アサギマダラたち同様、あきらめずに最終話まで旅のおともをしていただければ幸いです。
この後、1羽のアサギマダラ率いる蝶たちは大敗北。
この著しく推している人のひとり、やどかりみさおさんの作品を前にして、なんと私は、ダークサイドに堕ちそうになる。
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お母さんのやどかりさんの文と、娘さんであるひーちゃんの表情からストレートに伝わってくる「せつなさ」。それとはまた違う種類の、直接胸に来るような、痛いような「せつなさ」。
そのモヤモヤと引っかかりの正体を探して飛び回るアサギマダラたち。
ブルー。「色」ではなかった。
まだわからない何か。
これをお読みくださっている貴方は、こういう時、思考は人それぞれあるとして、まずどういう
「動き」
をするだろうか。私は大体、次のような「動き」をすることが多い。
あまり見慣れないものは、
ぐっと寄って集中して見てみる。
見慣れているものは、
少し離れてぼんやりと見てみる。
例外もあるが、大体この動きだ。「離れてぼんやりと」というのは、
見慣れているものには、固定概念や決まったイメージがあることが多い
ので、これをできるだけ取り払う作業でもある。
この「乙女心」は、初見の写真ではあるけれど、ソファーや普段着の子供さんという、よく見慣れた風景だ。
この日も、私は、どうしてもわからない答えを求めて、写真を離して見ていた。全体を眺めながら、醸し出すヒントもあるなら見逃すまいと。
ほどなくして、1羽のすこぶる優秀なアサギマダラがあるものを見つけて帰ってきた。
私の筆は遅いが、アサギマダラたちは、仕事が早い。この蝶も、その中の優れた1羽だ。
見つけてきたものは、
「三角」。
三角形。確かにこの写真には三角形がある。
ソファーが構図を斜めに横切っているためにできた三角形。左上窓際。左下床部分。よく見ると右上にも小さな三角形。
持ち帰ったアサギマダラが、このうち私の目の前に差し出したのは、
左下の三角
だった。
貴方はこの左下の三角形に、特別な何かを感じるだろうか。もしかすると、100人中1人くらいは、この三角にも、何かしら意味を感じるのかもしれない。でも、ありがたいことに 今の私は、他の99人の中の1人だ。
ありがたいことに・・。
もう一度、左下の三角を見てみる。三角形とはいうものの、先ほども言ったとおり、これは単にソファーの下の見切れた床部分だ。そして左下の隅に、表示される画面の色設定にもよるのだろうが、薄いピンク色の敷物か何かが写り込んでいる。※ それはおそらくソファーと並行に置かれていて、仮にその場にいたとしたなら目に映るのは、ソファーと敷物の間の黒い帯状に見える床というのを彷彿とさせるし、三角形が三角を主張するには弱い気がする。そして上辺から途中まで突き出したソファーの脚もまた、その三角の主張に水を差している。
※ 記事掲載後、私が敷物と思い込んでる左下の方が床で、逆にソファーの真下の黒のような紫のような部分が敷物ではないか、というご指摘がありました。確かにその方が正しそうです。こういう私の見間違いも、結果、少し関係してるかもしれません。
心の状態をカタチとして表すとき、丸いカタチが、比較的穏やかな、安定した状態を表現し、角のあるカタチが、とげとげしい状態や、不安定さを表現することはよくある。
そのまま受け取れば、左下の三角をひーちゃんの心模様にこじつけたくなるかもしれないが、それも弱い。
娘さんがこの日抱えていた「せつなさ」。それは、彼女には申し訳ないが、明日になれば解決するせつなさである。大好きなお父さんは「明日会えるじゃーん!」とお母さんがいう通り、彼女のもとに帰ってくるのだから。「明日は会えると分かっていても悲しくて涙が出ちゃうんだよ。」と彼女は、涙で訴えるが、大人の私たちは、うんうん、かなしいのね、と同調はしてあげつつも、結局、「ほほえましいねえ」と笑っていられるせつなさだ。
それぞれの主観にもよるのだろうが、私の感覚では、この時の娘さんのせつなさに、左下にあるような大きな三角は必要ない。
三角をハートに置き換えるとわかりやすいかもしれない。
娘さんがお父さんを恋い慕う気持ちを表すのに、彼女の位置する下方に、こんな大きなハートを横たえると、むしろ違和感がある。添えるなら、もう少し小さめのものを本人のまわりに、あるいは吹き出しのようなものなら本人の上の方がしっくりくるかもしれない。
このあたりで、読んでいる貴方には、別の違和感が生じてきたことと思う。
「じゃあ、なぜ、優秀なはずの1羽は、その三角を持ち帰ってきたの?」
おっしゃる通りだ。おかしい。
でも実際に、その時の私は、1羽の差し出した「三角」が、
時間の経過とともに、段々と気になり始め、
そのうち思考を侵食して、
ついにダークサイドにさえ堕ちそうになるのだ。
ただし、やどかりみさおさんの名誉のためにも、前もってお伝えしておくと、やどかりさんの作品には一片の罪もないことは、次回、証明される。
そして、その原因のきっかけの2つは、
私自身がコロナ自粛のついでにスマホ・テレビを自主的に自粛してしまうような面もある人間であることと、
私が写真の中のモヤモヤの答えを探す時にする無意識の「動き」
にあったのだ。
ここまでご覧いただきありがとうございます!
なにやら不穏な雰囲気が漂ってきましたが、どうかアサギマダラを信頼してください。
彼らはきっと最後には、
あなたにとっての「写真」がいま以上に楽しくなる場所を目指してひらひら飛んで行きます!
次回につづきます。おたのしみに!
写 真 っ て 、た の し い 。