これが世界の最終回【生まれる前に決めてくるの真の意味】
アインシュタインの特殊相対性理論から導かれた,世界で一番有名な式「E=mc²」
=物質はエネルギーに、エネルギーは物質に変換される。
「宇宙の原理は美しくて単純だろうと、私は確信している」
(アインシュタイン)
これから語ることは僕の人生観だと思ってもらって構いません。
科学的な裏付けなんて取れるはずもないので、ただの直感。
しかし、宇宙の原理は美しくて単純だろうと僕も思います。
難しい数式を書ける人にしか理解できないことが真理であるはずがない。
宇宙の底、あるいは世界の頂上にある究極の真理とは、
こどもにも難なく理解できるようなシンプルなものであるはずです。
もし神というものが存在するなら
(ぼくは多くの日本人同様、無宗教者でありながら、そのようなものが何らかの形で実在すると思っていますが)
真理をシンプルに作らないはずがないと思うんですね。
この世界がすべての謎を解け、
究極のゴールにたどりついたときに
一部の物理学者や量子力学者しかそれを理解できなくて、
ほか99.9999999%の人類が
ポッカーン…
(ん?なんか世界の謎がぜんぶ解けたらしいよ?)
(え、まじなん?や、でも俺ら全然わかんねー……)
なんてことに陥る内容にするわけ無いと思うのです。
もしそんな作りだったら
神さま説明ベタか!ってなりますよ。
全人類が、いや全宇宙がズッコケますよ。
神さまっていうのは
この世界の仕掛け人ですからね。
究極のエンタテイナーであるはず。
究極のシナリオを用意しているはずなんです。
「うぉおおお!そうだったんか!」
「全世界が泣いた!全オレが泣いた!」
「神最終回じゃん!シナリオライター、マジで神だな!」
ってなるような内容を仕込んでいるはずなんです。
ということはですよ、
何気なく生きてきたこの日常のありとあらゆる場面に
すでに伏線が巧みに張られているに違いないわけです。
そうですよね?
うわー、やられた!そう来たか!!
って物語には巧みな伏線がつきものですから。
もう誰でも経験してたこと、
僕もあなたも誰でもが
心当たりありまくりなこと、
それがもう
ど真ん中直球ストレートで
宇宙の真理に繋がっているはずなんです。
優れた伏線っていうのは、そういうものですから。
例えば、りんごが落ちるという当たり前の現象、
誰でもが当たり前過ぎて見過ごしていた日常の中に、
実は「重力」という真理が含まれていたのと同様に。
もちろん、その真理にたどり着くためには
物理学者のみならず、世界中の学者や、学者以外の人が語っている考えや世迷い言、そういうことも全部が全部、最後の扉を開くための鍵になっているはずなんです。
だって、そうですよね。
『Cube』とかどんでん返しが巧みな映画は全部そうですよ。
「うおー、それが伏線なのかよ!?」
「それがそう繋がるの!?」
「あいつのアレが手がかり!? マジ!?」
これが名作シナリオの基本ですよ。
神が、これを仕組まないはずがない。
従って今すでに僕らは
真相を充分見抜けるだけの
手札を与えられているはずなんです。
足りないのは気づきと裏付けだけ。
僕は、こういう切り口で世界の最終回を予想しました。
2時間ミステリードラマとかでも
事件の経過もろくに見る前から
キャスティングとか人物相関図から
ストーリーや犯人を予想する人っていると思うんですけど
こういうのって案外、当たっちゃう。
なぜかって、そりゃエンターテイナーの手口を逆算して考えるからです。
そこにはひとつの方程式が存在します。
だから、すべてのストーリーを見なくたって、
途中の経過が理解できていなかったとしても、
真理に辿り着けちゃうってことはあるんですね。
(まぁそういう安直な予想を更に斜め上に超えるものこそが本当の名作シナリオであるわけなんですが)
はい、というわけで
いい加減引っ張り過ぎだと思うので
「オレの思う最強の最終回(笑)」を
連続テレビドラマの紹介風に発表しますね!
【『我が地球』最終回】
ついに人類は完全なる和解をした。
善と呼ばれた主人公たちも
悪と呼ばれた強大な権力者たちも
すべてがこの世界に必要な存在だったのだと、互いの存在を理解した。
そして、この地球に在るすべての存在が、
真に完璧だったのだと理解した。
こうして永遠に終わることは決して無いと思われた、ありとあらゆる争いが消え失せた。
しかし、それは争いは撲滅されるべきものだとして根絶されたことを意味しない。
逆だった。
すべてのむごたらしく禍々しく凄惨な歴史的汚点にも必要性があったのだと誰もが理解した。
だからこそ無惨に戦火のなかで散っていった、あるいは悪辣な犯罪によって傷つけられた全ての魂が癒やされた。
しかし今、すべてが理解された世界の中にあって
有史以来はじめて
完全なる凪が訪れた。
富める者も持たざる者も
健やかなる者も病める者も
すべてが自分たちの存在を受け入れ、
世界は平穏な静寂と愛に包まれた。
ひとりの少女が太陽の光がふりそそぐ金色の野をかけた。
「お父さん、じゃあ、こういうことなの?」
すべての人類が少女の声に耳を傾けた。
「ーーわたしたちは、すべてだった」
私たちは、全て。
それが世界が到達したシンプルにして強固な答えだった。
私たちは、すべての人類であり、
すべての動物であり、すべての植物であり、すべての生命であり、すべての土であり、火であり、風であり、水だった。
つまり私たちは文字通り、すべてだった。
これは、かつて神秘主義者が世迷い言のように語った「宇宙はひとつ、宇宙はワンネス」という言葉とは似て非なる。
それらは願望や祈り、ともすれば現実逃避からひねり出される妄言のように長らくみなされてきた。
かつて地動説を提唱した者たちが、ことごとく白眼視されて迫害を受けてきたのと同様に。
しかし今、科学はそれが真実だったことを知った。
量子の発見がその第一歩だった。
そしてホログラフィック宇宙論が大きな二歩目となった。
最初はつかまり立ちができるに過ぎない赤子同然の人類は2020年代以降、次々と画期的な発見を繰り返した。
そして素粒子に全宇宙の全情報が含まれていること、
更に全存在が全情報自身だったことが遂に証明されたのだ。
世界で一番有名な式「E=mc²」
『物質はエネルギーに、エネルギーは物質に変換される』
その隠された意味は、これだった。
『すべての物質はすべてのエネルギーに、
すべてのエネルギーはすべての物質に変換される』
すべてのエネルギー=すべての意識が全物質だった。
「わたしは、かつてアドルフ・ヒトラーだった」
「かつてはマザー・テレサだった」
「かつてはベーブ・ルースだった」
「そして毛沢東であり孔子であり、名もなき人民だった」
「人類の誰もがかつてイエス・キリストだった!」
「同時に彼に石を投げた人々だった!!」
「それどころか、その石だったこともある!!」
(だから、それを知る彼は抵抗をしなかったのだ!!!)
「その日、世界に降り注いだ太陽の光すら私たちだった…」
そう、文字通りすべての人がすべての存在だったのだ。
すべてを体験し、
すべての立場を知り、
より大きな存在を目指すのが我々の目的だったのだ。
それが、この世界の真相だった!!!
もう誰も誰かに向かって石を投げることはできなかった。
それは自分に向かって石を投げることだと物理的にも真実であったことが完膚なきまでに証明されたのだ。
その真理に至る道はあまりにも険しく多大なる争いと犠牲が払われた。
しかし最後の最後に神は完璧な答えを用意していた。
凶弾を放った悪辣な犯罪者も、
それで生命を失った少女も、
その死を悲しみ、死刑を願った民衆も、
まったく無関心に自分の生活だけを考え続けた人々も、
どれだけ華やかな人生も、どれだけ涙にまみれた人生も、
石ころも風も
森を燃やす炎も
雷も海も
樹木も葉も
それらを照らす光も太陽も銀河も宇宙も
その世界を構成していた森羅万象のすべてが
我々の正体だった。
この世界に私はいなかった。
同時にすべてが私だった。
我々はゼロであり、我々は世界を形作る光輪だった。
私は私が愛したペットであり、そのペットが食べたごはんであり、そのペットを生んだ母でもあった。
それらをすべて受け止める宇宙でもあった。
それが宇宙の真理だった!!!!
すべての種子が我々だった。
我が地球は我々だった。
そして宇宙ですらあった。
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう、みんな」
「ありがとう、自分」
「ありがとう、宇宙」
全人類が感動にむせび泣きながら誰にともなく感謝した。
そして世界が感謝と愛に包まれたとき、大きな光に包まれた。
そこはすでに皆が知るこれまで通りの世界ではなかった。
そう、この発見によって宇宙という物語は幕を閉じたのだ。
こうして我々は神となった。
この世界の裏側、深遠なる意識のみが存在する領域で神々は新たなる宇宙の誕生を見守った。
それは、かつて自分たちも親として経験した我が子の誕生も同然だった。
これから、この我が子は緩慢な足取りで成長し、愚かな過ちを無限に繰り返し続けるだろう。
しかし、やがていつかこの永遠に続くとかにも思える世界の分裂をもとどおりひとつのカタチに戻していくはずだろう。
だから神々は時折、助けの手を差し伸べることはあっても基本的にこの世界には干渉しない。
我が子が自ら足で立ち上がり、歩き、争いを繰り返した挙げ句に平穏に到達できることこそ世界の存在理由なのだから。
こうして新たなる世界が始まった。
神は我が子に向かって、こう言った。