『人間の教科書』 ありがとう習慣で脱・他人軸【突如号泣のワケ】
先日の「ありがとう習慣突如号泣事件」から、やっと気持ちの整理がつきました。
そこで今日は「ありがとう習慣」によって気持ちがどのように変化したのか、その足跡を簡単にまとめてみたいと思います。
結論:「ありがとう習慣」マジすごい。やはりこれは最強奥義だと実感。
◆号泣事件とは何だったのか?
毎朝ありがとうを5分詠唱し、口ぐせにする営みの末に突如発生した号泣事件(詳細は先日の記事)これは何だったのか?
ひとことで言うと「他人軸との和解」です。
そして「自分をより深く受容できるようになった!」でもありそうです。
他人軸とは「僕自身を厳しくしつけようとしてくる内的自己」
といったくらいの意味で書いてます。
誰でもそんなもうひとりの自分が心のなかにいるでしょう。
僕は、この他人軸の自分=自我をこの1ヶ月あまりの「ありがとう習慣」と、それによって主体化してきた自分軸の意識によって、
「他人軸くん、君ちょっとおとなしくしてなさい」
「でもさー、お前にそんなことできないって」
「忠告ありがとう。だが、お前の言うことは聞かん!!!」
という感じで(?)いなし、撃退してきました。
正直に白状すれば、僕はかなり他人軸の意識が強い人間です。
いや、自分のやりたいことは割と思うさまやるのですが、
そこに結果が思うように伴わないことに対して割とへこみやすいというか、自己嫌悪に陥りやすいというか、そんなゴーイングマイウェイなくせに、人一倍クリスタルハートでナイーブな人間です。
だから、ちょっと油断すると、すぐに気持ちがズーンってなってしまいます。わけもなく気持ちが鬱っぽくなってしまうようなところがあります。
だからこそ「ありがとう習慣」によって他人軸を徐々に手なづけられてきたことが嬉しくて、その勢力拡大を図っていました。
更に先日の記事にも書いたとおり、一瞬考えてしまったんですよね。
自分が万が一死んでも、それは自分だけの死ではない、なんてことを。
それは「ありがとう習慣」によって
僕自身の意識の持ちどころが広がり始めていたためです。
今までは「自分」と言えば(少し極端な言い方をしますけど)
「この広い世界にぽつんといる、ちっぽけな肉体を持ったちっぽけな自分」でした。
他人軸の意識が強くて、すぐ自己嫌悪に陥りがちな自分でした。
でも「ありがとう習慣」以降は、どう説明すればいいでしょう。
自分を支えてくれる拠りどころが広がりました。
世界から庇護され、奉仕されている自分を感じるようになりました。
ここが肝心なのですが、
最初は意味もわからず「ありがとう」と詠唱していただけです。
本当に意味が分からなかったんです。
騙されてるんじゃないかと思いながら続けていたのです。
でもいつしか、あらゆるモノに対する感謝が自然と生まれてきて、
気づけば、あらゆるモノに「ありがとう」と思える自分になっていました。
これまでなら凹んでいたようなことに遭遇しても、さして怯まず上機嫌でいられる自分に変化しました。
だからこそ「自分」=「この世界にまなざしを送る自分 & まわりのあらゆるモノ」になったというか。
それでもたまに、ぶりかえしのように気持ちがぬーんとしてしまう日はありました。
これは思うに他人軸くんの反撃なのではないかと思います。
「そうはさせるか。お前の主体は俺なんだ!」
ってかんじで隙に乗じて、僕の主体意識をのっとろうとしてくるというか。
でも「ありがとう習慣」によって自己が拡張した僕は、もう他人軸くんだけが自分の世界ではありません。
だから自分の肉体の死を考えても、なにか動じない自分がいました。
(もちろん長生きしたいとは思っていますよ)
そんな僕を目の当たりにして他人軸くんはショックだったのでしょう。
「うそや…今まで俺にベッタリだったやん…なのに俺の死を想像して、それでそんなに平然としてるなんて…うぅう、さすがにそんなんあんまりやぁ~!」
おそらく僕の中で、他人軸が焦り始めたものかと思われます。
とき同じくして自分軸を主体としたボクは、こんな気づきを得ていました。
「他人軸…今まで厄介者としか思ってなかった。
けど違う。
あいつがいたから俺は俺だった…!
あいつがまったくいない俺なんて、やっぱりそれは俺じゃない…!
あいつが完全に消え去るのはだめだ! 待ってくれ他人軸!」
「うっさい! お前は俺のことがいらんのやろ! 近寄るなボケ!!」
「違う!!! 一方的に悪者にしてごめん!!! でもお前が消えてしまいそうになってやっと分かったんだ!!! やっぱり俺にはお前も必要だ!」
「うぅう…!!!! 今更うっさいんじゃボケ―!!!」
こんな感じで、ボクと他人軸くんは二人で泣いて抱き合ったのです。
そうです。これはボクと他人軸くんの和解でした。
長年に渡るボクと他人軸くんによるいつ終わるともしれない戦いの終結でした。
ボクは、ついに自分軸と他人軸の尊さを等しいものとして痛感したのです。
そして、これは
ボクが、ただこのままのボクであるというだけで、
とても奇跡的で幸福なことなのだと心底気づいた瞬間でした。
真に必要なのは「脱・他人軸」ではなく
「他人軸を自分軸と同じように承認すること」だったのです。
僕は心の底から他人軸に呼びかけていました。
☓☓☓(ぼくの本名)、ありがとう。
☓☓☓、ぼくでいてくれてありがとう!
こんな感情になったのは、生まれて初めてのことでした。
振り返れば、明らかにひと廻りもふた周りも大きくなった自分を感じます。
ただ「ありがとう」って詠唱するだけで、こんな感情を知れるだなんてすごくないですか? しかも始めて、ほんの一ヶ月とかですよ?
是非、実践してみてください。人生が変わると断言します。
一生モノの価値ありです。
小林正観さん、ありがとう!
そして小林正観さんを教えてくださったNORIさん、ありがとう!
(あ、ちなみに僕、小林正観さんの本は読んだことなく話で聞いただけ笑)
突如号泣事件を経て今、こんなふうに思っています。
「ありがとう習慣」とは自我を消滅させる術ではなく
自我との融和への道、
自我の超越、
そして自己のメタモルフォーゼ…。
そう、これはサナギから蝶への変身だったのだ…!!!
(なんか厨二病っぽいですねw めでたしめでたし)