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人生RPG〜命日前夜〜
京都へ越してからの私は、さながらRPGゲームのプレイヤーになったかの様に、一つ一つの手がかりを自分の足で一歩一歩訪ね歩いてはつないでいるように進んでいます。
京都のご近所さん、喫茶結社さんからのひょんなご縁で鎌倉の喫茶店へ向かいました。
ここは前を通るたびに、行ってみたいな…と思い続けて早数年。
苦み走ったおじさまマスターが煙草をふかしながら常連の方々とニッチな音楽談義を繰り広げているんだ…という勝手な脳内イメージにひるんで、さあ行ってみようという最後の勇気がどうしても出なかったのです。
まさか鎌倉を離れてから扉を開ける日が来るとは。
いざ踏み込んでみたそのお店にいたのは、映画とムーミンを愛するご店主と、気さくに時間を共有してくれる常連さん。
あとから私の友人も合流。
彼女はいつも、私の最後の一歩のそばにいてくれる人。
彼女たちと、絵しりとりをしました。
常連さんたちが描きためてきた一枚一枚を見返していくと、不思議なくらいパッパッと正解が浮かんでくる。
友人は「なんで!?」と言い、お二人は「よく分かった!」と嬉しそう。
絵もしりとりも大好きな私は、楽しくその絵のページをめくりながら、ふとその理由にたどりつきました。
中学生の時に父が脳梗塞になり、身体の麻痺に加えて言葉を失いました。
それからの日々、父との会話はホワイトボードの上での連想ゲーム。
父が書く断片的な漢字やつたない絵から何を伝えたいのか連想して、正解のしっぽをなんとかつかむ毎日でした。
それもできる限り間違えてはいけないシビアな連想ゲームなのです。
あまり時間がかかったり間違えたりを繰り返すと、父は伝えること自体を諦めてしまうから。
何か思い出して伝えようとしてくれている父のキーワードが汲み取れず、「もういいよ」という表情でひらひら力なく振られる左手を、今でも覚えています。
私はあの顔を、出来る限り見たくなかった。
父が伝えてくれようとすることは、私が全部全部すくいあげたかったのです。
最小限のヒントから何かを導き出すこの力は、図らずも鍼灸師という今の仕事にも大いに役立っています。
言葉を話さない身体が発する小さなサインを取りこぼさないように、そして何が不要で何が必要かを素早く判断する繊細な積み重ねが出来るのは、言葉を制限された父との時間があったからだったんだな。
そんなことをじんわりと思いながら、楽しく絵しりとりの仲間に入れていただき、あっという間の夜がふけていきました。
明けて今日、12月27日は父の8回目の命日。
お父さん、私はまわりにたくさんあるメッセージを、大事に汲み取れているかな。
まだまだ見落としが多いだろうし、大事なものほどそのままの形で汲み取るのは難しいけれど。
だけどせめて私に伝えようとしてくれる誰かのサインは、あの日々と同じくらいに真剣に、いつも分かろうとする人でありたいと思います。
こうやって一つ一つのご縁を一つ一つ手繰り寄せていくと、自分の中からも大切なものが輪郭を持って出てくるのですね。
京都に戻ったら、今夜教えてもらった本屋さんへ行ってみよう。
そしてまた来月、鎌倉に来たら絵しりとりの続きを。
人生RPGはまだまだ続くのです。