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なんでだよこのやろう、の輪郭

最近の私が直面している、分からないこと2選。
「誠実さ」と「罪悪感」
これはなかなかに尾を引きそうな問題でありますので、少しずつ向き合っていくつもりでいます。
今回は「誠実さ」について思うことを少し。

「誠実さ」とは一体なんだろうか。
自分の中の言葉でいけば、「嘘偽りがないこと、取り繕わないこと、そして素直で真摯である態度」
辞書が言う「誠実」は、「他人や人に対して真面目で真心がこもっていること」であるそうな。
他人や人に対して、って、どちらも対象が自分以外なのが気になります。

自分に対して誠実、も存在すると思うのです。
けれども自分に対して正直、と限りなく線引きが難しい。
「正直」という言葉になると、単純に嘘偽りがないことのみを前面に出しても良い感じがする。
それでいうと「誠実」は、もう少し視野の広さが求められる温度感があります。
どちらかというと相手を尊重するニュアンスが含まれる気がする。
相手ありきの事柄に対して使う言葉というのがここでしっくりときますね。

何が言いたいかというと、「自分に対して誠実」、だったつもりの態度や言葉が、単なる「自分に正直」だった場合、それは時として相手を置き去りにするということ。
なんかコイツめんどくせぇこと言い始めたな、と思ったあなた、よく分かりましたね。
今日はいつものふわふわ幸せな日常から一転、くだを巻かせていただきます。

以下、ただいま放送中のアニメ「ら〇ま1/2」の女ら〇まの声で再生してください↓↓↓

物事全てに答えを求めるな? そりゃおっしゃるとおり。
人間みな聖人君子だと期待するな? それもその通り。
でも私だって藪からそっと糸こんにゃくくっつけられたら混乱ぐらいするわい!!!
母親が階段から足を滑らせてひっくり返っていようが、父親が朝目覚めたら事切れていようが、感情爆発させる前に次やるべきことを行動に移せる人間ではありましたが。
だからといって何されても大丈夫なわけないでしょうが!!!
(彼女は過去飲み込んできたたくさんの瞬間に対して声を大にして叫んでいます。)

「正直」案件だと気付かず「誠実」にくるんでそれを手渡してしまったら、それはもう自分と相手、二人のものに自動的になってしまう。
これは新発見。
小学生の頃通っていた塾の国語の文章で、「家の前で空き缶をポイ捨てする二人がいる。一人は勢いよく缶を投げ捨てる。もう一人はそっと家の塀に缶を置いて立ち去る。ポイ捨て的にはどっちがやべぇか」みたいな、そもそもがやべぇ問題があったのを覚えているのですが。
答えは、申し訳なさそうに、でもゴミは人の家に捨てていく後者。
ポイ捨てだと自覚して潔くやってる前者の方がまし、みたいな補足がついていた気がする。

ここで言いたいのは自覚があるのかどうか。
これは単なる「正直」だと自覚して空き缶を投げてくれるなら、空き缶の処理には困らない。
空き缶なんだけど「誠実」として目の前に置かれると、どうして良いのか分からない。

なんて、持ち主不在の空き缶を眺めていたら、芋づる式に昔の憤りも噴出しました。
マインド的には昔から、結構すぐ人の胸ぐら掴みにいくタイプなんですが、表層的には笑顔武装。
でも最近それを見破られましたので、そろそろ内なる怒りや憤りも、言葉にしてみようかと思って。
怒りとのお付き合いは難しい部分もあるけれど、書き起こしてみちゃえばなんかかわいい。
このやろう、とか。
ふざけるな、とか。
ひらがなって偉大。

わたくしはただいま空き缶ではなく温かい紅茶花伝の缶が飲みたい気分でございます。


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