ラーゲリーより愛を込めて
「見たい」という気持ちより
こういう映画は「見ておいたほうがいいんだろうな~」って感じがしてて
でも、だいたい、どういう映画か予測がつくのでなかなか見られなかった映画を見ました。
「ラーゲリーより愛をこめて」
ラーゲリーというのは土地の名前だと思っていたのですが
収容所のことを言うのですね。
あまりいろいろ書いてしまうとネタバレになってしまうので多くは書けません。それくらいシンプルな内容でした。
見に行くのを躊躇していたのは、私が生まれ育った信州の田舎町では
村をあげて満州開拓を推奨した地域もあり、必死で満州から逃げて来たおじいちゃんおばあちゃんの話を子供の頃に聞いたことがあったから。
道端に体が弱って歩くことができなくなった人がたくさん行き倒れになっていたり、親とはぐれてしまった子供が泣いていた、
道の途中、靴はやぶれ、足の裏は傷だらけで、痛くても、それでも、歩かなくてはいけなかった、
盗みにあうし、貴重品は没収されてしまうから
お金やたいせつなものは、みつからないように衣類に縫い込んで隠し持っていたとか
話をお聞きした時の様子を今でも鮮明に思い出せるから、
見るのはつらいなあ~と思っていました。
それならば、見なくてもいいんじゃないか?って思う気持ちもあったけど、
だから、見たほうがいいんだよ、って気持ちもあって保留にしていたのです
が、急に、なぜか、「見なくちゃ!」という気持ちが湧き上がり…
こうして、noteを書いています。
見てわかったのは、この映画は、戦争の悲惨さを伝えたいのではなく
希望、生きてゆくこと、平和な世界であってほしいという願いの映画であり
「伝承」「伝える」ことの大切さというメッセージが
込められているように感じました。
極寒のシベリア、劣悪な環境で生き抜いてゆくシーンからの、過酷さ、悲惨さも描かれていますが
戦争っていろんなものが奪われるんだなって思った。
映画の中でいろんなものが没収されてゆきます。
楽しむこと、写真も、言葉も、音楽も、
そして感情も奪い取ってしまう
時間、生活、かけがいのない命…
人間らしさ…
劇中で、主人公の奥さんモジミさんが声をあげて泣くシーンがあるのですが
ああいう姿って、当時はなかったんじゃないかと思うのです。
戦争で夫と弟を亡くした祖母の姿をみながら育ち、
祖母から聞いた話しから
当時の人って「戦死」も当たり前のことで
淡々と死を受け入れていたように思えて、
あれは、今風につくりかえていて…
本当は感情すらも、うばいとってしまっていたんじゃないかと…
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戦争ははじまったばかりの時が大事って聞いたことがある
長くなればなるほど、それが当たり前になったしまうから
ウクライナとロシアの戦争もはじまって一年
言われていることの通り、
戦争という言葉にも慣れてしまい
それが特別と思わなくなってきてしまっている
だからと言って、わたしがなにかできるかといったら
何もできないけれども、
一日でもはやく戦争が終わるようにと祈ることくらいしかできないけれど…
プロデューサーの平野隆さんは
この映画は「希望」の映画だと、オフィシャルサイトに書いています。
悲惨なラーゲリーの生活の中で、ほんの少しだけ残った、
「楽しむこと」が描かれているのですが、悲惨な姿よりも、
そちらのシーンのほうが印象にのこっています。
中でも、「俳句」を読むこと。「ことば」
一枚のはがきの中に伝えたいこと、愛をこめて、言葉を残して行く。
ことばの大切さがこころに響いています。
言葉は「ことだま」
言葉には命が宿っている
と言いますが…
その通りだな~と思えました。
「ことば」は、後世にも残る、希望へと続く…
戦争の時代に生きた祖父母たちの思いを
どう希望へとつなげることができるか
私たちはそんな役割があるのかもしれない…
※映画は実話に基づいていますが
映画の中でクロという犬が出てきて…
さすがにこれは作り話しだろうと思っていましたが、
これも実話なのだそう。後から知って感動しました。