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【村上春樹 アフターダーク】感想 考察 ハッピーエンドを願って


久々の投稿は、村上春樹氏の2004年刊行作品「アフターダーク」について。

非常に長いので(13000字越え)お気をつけなすって。
要点だけ気になる方は「本考察の基本情報」と最後の方に目を通せばよろしいかと。


今回は読書感想文ではなく考察記事風の内容になった。

村上氏の小説は精神世界の描写が難解で読みづらいイメージがあったが、本作は比較的すらすらと読めた。ただ、音楽やモノや現象、些細な一言に込められた暗示が作品のそこかしこに散らばっており、特に姉エリについてのシーンは村上節なるものが唸っていて、自分の脳に浸透するまでゆっくりと時間をかけて読む必要があった。氏の他の作品(他の小説家さんと記憶違いしていたらすみません)に出てきた「小説世界に発射されない銃弾は存在しない」みたいな言葉がずっと頭に残っており、その後どんな小説を読んでも謎の言動が出てくるたびに「この台詞には何か重要な意味があるに違いない!」と何事も深読みしてしまうようになった(この呪いにかけられたおかげで、多読ができない体になってしまった)。そういったポイントになりそうな言葉や気づいたことをメモしていったらいつのまにやら2万字を越えていた。これを綺麗な文章でまとめるのはなかなかの重労働である。謎解明には多量の引用や説明が必要、かつ細部が複雑に絡み合っており情報を整理整頓しなければ伝わりづらいと思うので、今回はトピック分けして考察結果を示していこうと思う。

もちろん解明されるべきでない謎や、論理的説明をつけるべきでない世界もこの小説にはあるのだと思う。でも自分の頭に引っかかったことを拾い上げて研究せずにはいられなかった。

こじつけのようになっている・深読みしすぎな箇所もありそうなのと、ここに書いていることはあくまでも"説"でしかないので「かもしれない」が多用されており読みにくいかとは思うが悪しからず。また今回あまりにも引用が多くなりすぎたので、ページ数の記載はせず、私の文章との区別も特にしないで「」で囲うようにした。そうでないと小説の複製(は言い過ぎだが)のようになってしまうから。

本考察の基本情報

1回目さらっと読んだ時の印象は、「マリが夜の街を冒険して自分のコンプレックスについて自省し、最終的に姉妹が仲直りする物語だなあ」。しかし引っかかることがあり再読し、考察を深めていった結果、この作品にはあるテーマが隠されているという結論に至った。

私が辿り着いたのは、この作品は全体を通して映画「アルファヴィル」の世界が下敷きになっている、という説である。


【映画「アルファヴィル」について】

  • コンピューター「アルファ60」が支配する未来社会が舞台。

  • 「アルファ60」は社会を合理的に運用するため、住民から愛情などの人間的感情を剥奪し、個人主義的な言動を禁じている。

  • 主人公のミッションはその世界で感情を失った女性に愛を取り戻すこと。


【考察の要点】

私の考える「アフターダーク」の要点を先に提示しておく。この先でこれらについて深堀していこうと思う。

  • 個性や感情といった個人主義的思想

  • 愛情

  • 仕事(社会における役割)


主な登場人物の基本情報


【マリ】

外語大で中国語を専攻する19歳。
綺麗な顔立ちをしているが、幼少期からモデルの姉と容姿を比べられてきたため見た目に自信がない。それが原因で引っ込み思案になってしまい、学校にも馴染めなかった過去がある。その代わり勉強は頑張らないといけないという思いがあったことと、学校に行けなくなってから中国人向けの学校に通った経験から中国語が堪能。

【エリ】

マリの姉。中学生のころからモデルをしており、大学三年生の今もお嬢様大学に通いながら芸能活動をしている。「しばらく眠る」と家族に宣言してから、2か月間眠り続けている。

【高橋】

「ドジだけどいいやつ」。
「道に迷った性格のいい、しかしあまり気の利かない雑種犬のような雰囲気がある」という例えが分かりやすくて好き。
顔に自転車で転んだときにできた深い傷があるが、本人は特に気にしていないよう。むしろストーリー付きの個性だと思っているくらいじゃないか。この点、容姿に自信のないマリとは考え方が真逆。お母さんは幼少期に他界、お父さんは逮捕歴ありという複雑な家庭環境で育ったが、それを感じさせない明るさがある。

【白川】

外見にこれといった特徴のない40前後の普通のサラリーマン。深夜にシステムの保守をしているようだから、職業はソフトウェアエンジニアだと思われる。質の良いものを身に付けており、郊外に一軒家を構えて妻や子どもたちを養っている=それなりの収入がある。ここまでのプロフィールだと普通のサラリーマンという印象しかないが、実はラブホテル「アルファヴィル」で理不尽に娼婦を殴ったサイコパス的人物。

【顔のない男】

眠るエリをただ見ている、マスクをつけた謎の男。


姉妹関係

  • マリにとっての姉
    マリは姉と喧嘩したわけではないが、ほとんど関りがなく、無関心。
    美人の姉に嫉妬心があったというよりは、昔から違う生活をするのが当たり前だったので彼女のことを違う生き物のように認識しており、無関心という言葉が一番当てはまっているように思う。

  • エリにとっての妹
    エリは近頃特に妹に対してもっと親しくなりたいと思うようになっていたらしい。
    彼女は妹のように自分の世界というものを持てないまま大人になってしまったので自分の意志をうまく表に出すことができず、コンプレックスを抱いていた。

⇒姉妹はコンプレックスという形でお互いを気にしていたり、ある種の心配はしていたが、その関係性は拗れており親しく関わることはなかった。


主な出来事の時系列まとめ


【二年前の夏】
・高橋・エリ・エリの彼氏:大学1年生
・マリ:高校2年生
彼ら4人はプールに行き、マリと高橋はそこで初めて顔を合わせた。

【今年の四月頃】
タワレコ前で高橋とエリがばったり再会。立ち話では収まらなくなったので喫茶店に行き、エリからお酒の飲めるところに行こうとの提案があってバーへ。

【今年の四月~六月】
高橋、ゼミのレポートのために裁判所に通う。

【少なくとも今から半年以上前】
高橋がアルファヴィルでバイトしていたのが半年間くらい。「今でもたまに遊びに行く」という口ぶりから、バイトを辞めてしばらく経っている感じがあるが、詳細なバイト時期は不明。
バイトを始めたきっかけは、ある女の子と一緒に入ったがお金を持っておらずゴタゴタしたときに、ホテルのマネージャーであるカオルさんからスカウトされたこと。

【今から二か月前(夏頃)】
・エリが眠り始めた。

【現在★】
晩秋=10-11月頃。
・高橋たち:大学3年生
・マリ:大学1年生(19歳)
・娼婦:19歳
この日に起きたことを羅列していくとすごい量になるので省略。

【来週の月曜日】
マリ、北京の大学に交換留学に行く。

【来年の6月】
マリ、帰国予定。


エリがオフィス空間に閉じ込められるシーンについて


深い深い眠りにつくエリは、深夜3時を回った頃、テレビが映し出すオフィス空間に移転させられてしまう。そこは観念的な場所のようにも思えるが果たして具体的に説明できるものなのか、なぜ彼女はそんなところに運び込まれてしまったのか、彼女を観察する「顔のない男」は誰なのか。この小説における重要な事件の謎について考察してみようと思う。

場所

【監禁場所に関する情報】

  • 監禁場所は空っぽのオフィス。おそらく白川が働いていたオフィスと同じものだが、別次元、または精神世界のようなところに存在する複製物だと思われる。

  • 夢ではないらしい。「夢なのだろうか?いや、違う。夢にしてはものごとに一貫性がありすぎる。」
    ⇒実在するオフィス空間にベッドごと運びこまれてしまった。SFだからね。所謂"夢"ではないけど、ここで起きた出来事はエリにとって悪夢的である。

  • テレビの画面が突然電波障害のようなものに襲われ、テレビの中のエリは自分の輪郭がぼやけていくことに気づく。「二つの世界を結ぶ回線が、その接続点を激しく揺るがされている。それによって彼女の存在の輪郭もまた損なわれようとしている。実体の意味が侵食されつつある。」
    →映像が乱れると、エリの実体にも影響があった=テレビの中の電磁的世界、でも実体があるような不思議空間。

  • 高橋がマリに、君のお姉さんはべつの『アルファヴィル』みたいなところにいて、誰かから意味のない暴力を受けていると考えてみるのはどうだろうと話す。
    ⇒ モチーフとして、オフィス空間≒(映画)アルファヴィル―(ホテル)アルファヴィル ととらえることもできるのではないか。

【オフィス空間とは】

・仕事をする場所。
・無個性や無機質の象徴=(映画)アルファヴィル的な場所。

一般的に言えば、オフィスとは仕事をして会社の利益を生み出すためだけの場所である。最近はインテリアや服装において個性を許容するものになってきているが、この作品が出版された2004年当時はファッション含め個人の思想に対しての統制が厳しい無機質な空間だったのではないか。社員たちは自分の評定数値(=人間の記号化)によって仕事を振り分けられ、御上から与えられた役割をこなすことだけが求められる。効率や論理の邪魔になる個性は排除される。(この点、ファミレスもオフィスと同じイメージが付与されている)
エリがここに閉じ込められている描写は、彼女は生活のすべてを仕事のように感じるようになっていたということを示唆している?

【仕事】

  • 白川
    彼ははシステムの構築や運用に携わっている労働者だが、マクロ的視点からすると彼もシステムの一部と捉えることもできる。彼のサイコパス的性質は人間的感情を削除されているようでもあり、まるで(映画)アルファヴィルの住人だ。
    ただ、娼婦を殴った時には感情が噴出したのではないかとも思うのだ。そうなるとその行動は感情的だということになる。ただ彼は「そうせざるを得なかった」。ということは、むしゃくしゃしてやったというよりも、彼女が提供すべきサービスを提供できないことへのペナルティーとして論理的に彼女は殴られなければならなかったということなのだろうか。でもカオルが「こんなやみくもな殴り方したら、手の方だって相当痛いはずだよ。…頭がぶち切れちまったんだね。あとさき考えてない」と言っているので、冷静に考えた上での行動だったという感じでもない。うーん。

  • エリ
    モデルなどの芸能活動。
    →モデルが受ける「意味の無い暴力」について連想されること:大人たちからの圧力、一般人からの誹謗中傷(時代的にこれではないかな、今ならあり得るけど)、業界内の競争、友人からの妬み等
    意味の無い暴力という意味ではSNSで芸能人をむやみやたらに叩く風潮が想起されるが、2004年の作品(20年前…)なのでこの線は薄そう。
    小さい頃から芸能人として周りの大人の要求に応える「仕事人」としての振る舞いを求められてきたエリは、中学生の頃から「可愛くて従順で使いやすい女の子」としての役割を背負わされ、それを全うできないと精神的な暴力(嫌味を言われる、仕事を干されるなど)を受けることが日常茶飯事だった。それがプレッシャーになって自分の意見を言えないイエスマンになってしまい、そのことについて悩むうち鬱状態に…
    ⇒この説でいくと、オフィス空間が暗示している無個性的な性質と、エリの「自分を確立できなかった・都合良いだけの人間になってしまった」という悩みには繋がりが生まれる。

精神状態

【監禁中の精神状態】

  • エリは自分の存在が確かではないような感覚に襲われる。
    「私はこうしてひとつの肉塊であり、ひとつの資産なのだ、と彼女はとりとめもなく思う。そして自分が自分であるということが、とつぜん不確かに思えてくる。」
    →モデルとしての価値を持った身体を保有しているという感覚。でも本当にそれは自分のものなのか、どこまでが自分なのかが分からなくなった。

  • 「身体を支えている足場が片端から取り払われて行くような感覚がある。身体の内側かが必要な重みを失い、ただの空洞に変わっていく。これまで彼女を彼女として成立させていた器官や記憶が、何ものかの手によって次々に、手際よく剥奪されていく。その結果、自分がもう何ものでもなくなり、ただ外部のものごとを通過させるための便利なだけの存在になり果てていくのがわかる。全身の粟立つような激しい孤絶感に襲われる。彼女は大声で叫ぶ。いやだ、私はそんな風に変えられたくはない。」

    →アルファ60によって個人的な思想が削除されるように、大人たちからの圧力によって自分の意見や感情、個性を失っていく。その果てにはすべての感情が失われて非人間的なモノ(もしくは白川)のようになってしまうのではという危機感がこのシーンに表れているのかも。

    →孤絶感。「私がここにいることを誰も知らない」。本当の意味では誰からも気にかけられていないし、心配もされていないという感覚。本当の意味で愛してくれている人は誰もいないと彼女は思っているのかもしれない。とびきりの美人だけど人間性や個性が薄いから、男はたくさん寄って来るが、高橋のように関心は持っても愛情を持つには至らないというケースばかりだった?

    ⇒愛情への渇望が悩みの根本なのでは。


【エリの悩みの種】

上記のことから、エリは誰からも愛されていないと感じていたのだろう。
外見が優れているがゆえにアクセサリーのようにしか扱われなかったり、敬遠されたりと、心からの愛情を感じることがなかったのかもしれない。高橋はマリに「君のお姉さんには心を許せる女友達はいなかったのかもしれない」と話す。それは家族も同じで、両親からは与えられたお姫様役は彼女にとって愛情ではなく仕事のようなものだったし、妹からは壁を作られているような感覚があった。

「エリともっと親しくなれればよかったんだろうと私も思う。…私がそれを求めていた時には、その求めに応じるような余裕はエリにはなかったのよ」
この姉妹はお互いのコンプレックスや生活的事情があって、愛情を与えあうチャンスを得られなかった。愛情を与えあうことや誰かに大事にされることは、すなわち自分の存在意義を確立させること、という理論がここにはありそう(コオロギがマリに、いい人を見つけたらもっと自信が持てるようになると思うよ、と言ったこともこの点と繋がっている気がする)。
マリも今のところ特定の愛情を得ているわけではなく「狭い世界の中で、しょっちゅう足元をふらふらさせている」と言うが、高橋は「君にとって、今はまだ準備期間」だと話す。
マリにはまだ社会の洗礼に耐える強さを構築するための準備期間が残されているし、彼女にはそれができる才能のようなものがある。一方エリは、その準備期間が与えられないまま社会に放り出されてしまった。だから「自分というものをうまく打ち立てることができなかった」。

顔のない男の正体

この男は特定の誰かではなく、エリを不安にさせる「大人たち」の象徴として顔がわからないようにマスクをつけているのではないか(確証はない)。マスクの男は、白川にとっての娼婦のようにエリが自分たちの思い通りにならないことをしでかしやしないかを監視しているようにも思える。
⇒不特定多数を指し示すとしたら、「顔のない男」の顔意外の容姿の描写が少々個人的すぎるかなという気がしないでもない。エリにとっては悪夢の根源となる特定の人物がいるのだろうか。


この現象の意味するところと原因

エリは思春期からモデルとして仕事をしており、人格形成只中の時期から社会人として大人たちの言うことに従ってきた。彼女にとって仕事はちやほやされる楽しいものというだけでなく、時に自分の意見や個性を抑え込み、与えられた役割をこなす無機質な歯車となることだった。自分を管理する人間にとって都合のいいただの労働ロボットになってしまうことへの恐怖は日々募る。でもどこにも本当に頼れる人はおらず、不安をひとりで抱え込んでいた。その鬱々とした精神状態が、テレビの中のオフィス空間に閉じ込められるという現象として具現化した。
というのが私の考える一説。

関連事項

他の登場人物もエリの悩みと関連した恐怖を抱えている。彼らの発言は一見突飛でなんの脈絡もないように思えるが、上記の説を踏まえて考えてみると作者がなぜ彼らにそんなことを言わせたのかが見えてくる。

【高橋の、裁判を傍聴しに行った話】
高橋「悪いやつがいて、悪いことをして、とっつかまって裁判にかけられる。お仕置きを受ける。そういう方がわかりやすいじゃないか。経済犯とか、思想犯みたいなやつだと、事件背景が込み入ってくる。善と悪との見分けがつきにくくなってくるし、そうなると面倒だ。」
これはアルファヴィルでいう「人間の記号化」。対象が個性を持った人間であることを無視し、行動に対して善悪を判定し罰を与えるだけ。彼はレポートを楽に書くためにそういう事件をピックアップしたいと考えていた。それは犯罪者と自分とはまったく異なる人間であり、「観察日記」のように、まるで動物園で動物を眺めるように、犯罪や犯罪者を自分とは何の関係もないものだと認識しているからだったのだのだろう。
でも裁判を傍聴しているうちに、自分と犯罪とを隔てる壁の頑丈さみたいなものを疑うようになっていった。善と悪の間には完全なる境界線は無くて、悪は気づかないうちに自分の中に入り込んでいるものなのではないか?自分としては悪いことをしているつもりはなくても、なりゆきでそうなってしまうこともある。どんな事情があれ、法を犯したら犯罪者として罰をうける。犯罪や裁判を自分事として考えたとき、自分が自分としてではなく、記号として単純に、簡単に処理されてしまうことへの恐怖を感じたのかもしれない。
ただ、誰がどう見ても悪い奴が死刑になることに対して動揺したという彼の心理に関してはよくわからない。彼は恐怖対象のことを「巨大なタコ」という比喩を用いて説明しており、具体的に何を恐れているのか(善良だと信じている自分自身がちょっとしたきっかけで悪に手を染めてしまうこと?人間が個性を奪われて記号として処理されること?人間がまるで数式のように単純に裁かれて極刑が与えられるケースもあること?)は私には掴めなかった。
だが、ざっくりいうと彼は(映画)アルファヴィルのような過度にシステマティックで合理的な社会になってしまうことに恐怖を感じているのだろうと思う。法律を勉強した先に [この世界がアルファヴィル的になることを阻止して愛を取り戻す] というストーリーがあるのかは定かではないけれど。きっとそこには人間の感情を揺さぶる音楽というものが存在しないから、高橋は必ずこの世界に愛を取り戻さなければならない。

【コオロギの輪廻談】
・死んだら無になるのがコオロギにとっての恐怖。
無というものが理解も想像もできないから。死は「理解やら想像やらをしっかり要求する種類の無」かもしれない。そういうふうに考えていると怖くなってくる
⇒物理的な死ではなく、その人がその人でなくなってしまうことはつまり死であり、そういう類の死が怖いと言っているのでは。だから死んだら具体的に想像できる個性あるものに生まれ変われると考える方が気が楽。
死んだら無になると考えた方が自然と言うマリに、コオロギは「マリちゃんが自分を確立していて精神的に強いから無に恐怖を感じないのだ」と話す。
また、唐突に「恋人はいる?」と聞き、いないし今までもそこまで好きになれる人はいなかったと答えるマリに「マリちゃんもちゃんとええ人を見つけたら、そのときは今よりもっと自分に自信が持てるようになると思うよ」とコオロギ。人からの愛情を受けることは自分という存在をより強固にすると伝えているのだろうか。

【「お前は逃げられない」】
高橋は朝ご飯を買うために入ったコンビニで白川が置いていった娼婦の携帯電話が鳴っているのを見つけ、電話を取ると「お前は逃げられない。私たちは忘れない」と着信相手から一方的に告げられる。現実的に彼と着信相手の間に関係があるわけではなさそうだが、彼はこの言葉を他人事とは思えなかった。これは呪いのように、高橋の"耳たぶが変形した方の耳に"残る。
彼に残る傷跡は成長する中で負ったものであり、今の彼を構成する一つのファクターである。つまり彼の生い立ちや個性に対して告げられた言葉であることを暗示しているような感じがある。電話の向こう側の相手が、いつかお前の個性を剥ぎ取りに来るぞと。また、彼らが悪夢に見るトラウマからは「逃げられない」ということでもあるような雰囲気もある。
上記以外に、「過去からは逃げられない」という説も考えてみた。父親が犯罪者であることは小説中で明記されている。作中では伏せられているが実は顔の傷も耳の変形も父親からの虐待によるもので、その暗い過去から逃げている、とか…?でももしそうだとしたら、高橋はそれを茶化せるくらいには気にしておらず、トラウマになっているというふうでもない。明るく生きていたいから表面上はなんでもないように誤魔化している(「愛の詩」の最後を誤魔化したように)という可能性もあるが。いやでもお父さんが帰ってきたときは嬉しかったと言っているし、僕を孤児にするべきじゃなかったとも話している。かつ今でも金銭的な援助をしてくれているようなので、この線は薄いか。
高橋はこの言葉を自分個人に向けられたもののように感じたが、コンビニ店員にも同じように「逃げられない」という言葉が無差別的に投げられている。店員のほうは特段気にしていないようだが。つまり人間誰しもに「捕まえに来る側」=アルファ60的な社会システムもしくは管理者にとっ捕まって喰われる危険と隣り合わせであることを意味しているのかもしれない。


個性について

個性とは基本的に皆に備わっているものだが、成長過程で抑圧されることなどにより無意識に隠されて、行方が分からなくなってしまうことがある。自分の世界とは、個性ひいては自分自身を守るシェルターのようなもの。自分の世界を作ってそこに引きこもらざるを得なかった人もいるのだろうが、過去の明暗に関わらず、それはその人をその人たらしめる堅い証明のようなものになってくれることがある。

  • 眠っているエリの部屋において「彼女のパーソナリティーは前もってどこかにこっそりと隠され、観察の目を巧妙に逃れているという印象がある。」
    ⇒彼女の部屋には個性が無い。彼女自身のパーソナリティーが欠落していることをほのめかしているのだろうか。彼女にあるはずのパーソナリティーは、彼女が仕事に打ち込む中で押さえつけられて、本人にもわからない場所に隠されてしまった?記憶の引き出しのどこを探しても見つからない。

  • マリがもつ外見のコンプレックスに対して、カオル「人はそういうのを個性って呼ぶんだよ、普通」。

  • 高橋「妹である君はいつも、自分が手に入れたい物事のイメージをきちんと持っていた。ノーと言うべきときには、はっきりそう口にすることができた。自分のペースでものごとを着々と進めてきた。でも浅井エリにはそれができなかった。与えられた役割をこなし、まわりを満足させることが、小さいころから彼女の仕事みたいになった。君の言葉を借りれば、立派な白雪姫になろうと務めてきたんだ。たしかにみんなにちやほやされただろうけど、それは時にはしんどいことだったと思うよ。人生のいちばん大事な時期に、自分というものをうまく打ち立てることができなかった」。

  • 本作では不思議なタイミングでモラルについて言及される。最初これの示すところがなかなかわからなかったのだが、マリはファミレスのチキンに対して、高橋は牛乳に対して自分なりのモラルを持っていることを考えると、モラル=マイルール=個人的な思想=個性 と捉えることもできるのかもしれない。

私たちの社会には、一方的に個性をはぎ取り、合理的判断を鈍らす感情というものを排除し、扱いやすいモノ(それは時には労働力だったり、アクセサリーだったり)に変えてしまおうとするある権威が存在する。それは色々な形をとって、私たちの前に現れる。法律、国家、時には白川のようなサイコパス的人物として、あるいは企業、仕事の上司(中国人密入国グループの男も女の子をモノのように宅配するのだからその類の人物なのだろう)、見せかけの恋人として…どこにでも存在し得るのだ。やつらのひとりは今すれ違った男かもしれない。私たちは個性の略奪者から逃げることはできない。そしてやつらには明確な悪意なく、何か正当らしい理由を掲げて侵攻してくるため、私たちは彼らと戦う上で非常に不利だ。

こう考えていると、白川が女の子から奪ってきた衣類や所持品を入れたゴミ袋をコンビニで捨てるシーンも象徴的に思えてくる。「セブンイレブンの前にゴミ袋がいくつか積み上げられてある。彼は持っていたゴミ袋をその上に重ねておく。たくさんの同じようなビニール袋にまじって、それはあっという間に特徴を失ってしまう。朝がくれば、回収車がやって来て処理してくれるだろう。」もし警察沙汰になったとしても彼のやったことがバレることはないことを説明しているだけのシーンだと思っていたが、重大な事情を秘めているゴミ袋も他のゴミとなんら差別されることなく一緒くたに処理されてしまう=個性を失った世界の恐ろしさを示唆しているとも考えられる。


社会に出るとそこでのルールや要求に迎合した方が得に思えることが多々あり、会社ではニコニコ従順に働いているように見せかけて、どこか別のスペースに本来の自分を持っておくようになる。そうやって生きていると本来の自分も多かれ少なかれ影響を受けることになるのだが、その時完全に自分を失ってしまって自分がただの労働ロボでしかないという虚無を感じるか、仕事は仕事、自分は自分とちゃんと区別して自分の人生を作っていけるかが、「自分の世界」の有無によって変わってくるな~と思いました。仕事一色の人生も、それを本人が楽しんでいて、周りへのケアもできる余裕があるのなら、それはとてもとても素晴らしいことである。自分も楽しくて周りも楽しませてさらにお給料もたんまりもらえたら最高の人生ね。でも仕事はやはり仕事であって、社会の生命活動の一部でしかないことだってもちろんある。勤労は憲法で定められた義務だ。だから働く。仕事=私の人生の全て と考えると私もエリみたいになってしまうので、仕事はあくまでも人生の一部であって、それをやるべき時間には全力で向き合うが、それ以外の時間は労働の対価を消費して自分の世界を打ち立てることに心血を注ぎたいと、唐突に感想が浮かんできたのでここに書いておく。


ラストシーン

【高橋とマリ】
マリと高橋の関係性について。私は彼らが将来結ばれたのかどうかに関係なく、いい出会いであり、悪くない別れだったのではないかと感じた。
マリは自分が愛されるタイプの人間だと思えないし、他人に対して愛情深いわけでもない。毎日何かが欠けている気がして、漠然とした不安がある。自分の世界を変えるために、この日は自分のテリトリーの外に出てみた。そして高橋と出会い、彼から真直ぐな好意を向けられた。「マリはもう一度高橋の顔を見る。何かを確かめるように、まっすぐ相手の目を見る。」高橋に手を握られても拒否しない。「君はとてもきれいだよ」。
マリはその日初めて会った男からの誘いにひょいひょいついて行くようなノリの軽い女の子ではないので朝ご飯の誘いは断って素直に家に帰りたいと告げるが、彼女も個人的な話を打ち明けるようになったりとだんだんと心を開いていた様子。そして、彼女が持つ「外見が劣っている」「性格が暗い」といったコンプレックスに対して、高橋が悩む必要はない、君は素敵な人だと説得するように話してくれた記憶は、この先彼女を一生どこかで支えてくれるだろう。
高橋も自分に関する悩みはあるが、朗らかに、まっすぐにマリに好意を示す。それができる人に出会えたことは彼にとっても幸運だったのではないか。物語はやっぱりハッピーエンドがいいよね。


【マリとエリ】
マリは眠っている姉の心臓の音に耳を澄ませていると、自然と涙が出てくる。そして「何かに対して――それが何なのか具体的にはわからないのだけれど――ひどく申し訳ないような気持になる。自分が取り返しのつかないことをしてしまった、という気がする。それは前後の筋道がつかめない、ひどく唐突な感情だ。…マリはふと思う、私はこことは違う場所にいることだってできたのだ。そしてエリだって、こことは違う場所にいることはできたのだ。」姉の意識は今見えないところを流れていて、それは妹である自分のものとどこかで合流しているのだと感じる。
マリは、姉がこうなる前に何かSOSの信号を発していたのでは、日頃の無関心のせいでそれを拾いそびれてしまったのではと思い涙を流したのではないだろうか。もしかしたら気づいていたけど無意識的に気づかないふりをして放置してしまっていたということもあるかもしれない。姉の悩みが少しでも軽くなるように寄り添うことだってできたはず、一度壊れてしまったものはもう完全に元通りになることはできない(精神的な意味でも)、という考えが直感的に降ってきて申し訳ないように感じたのかもしれない。
一度壊れてしまった心はもう完全に元に戻すことはできないという点は高橋の話で触れられている。自分の家族について話す中で彼は「お父さんはたとえ何があろうと僕を一人にするべきじゃなかったんだ…そういうソフトウェアってさ、いったん汚染されると交換がきかなくなるんだね」と語る。でも彼は絶望しているわけではなく、もとには戻れなくても「ゆっくり歩いて、たくさん水を飲んで」普通に生活していくしかないのだと言う。この言葉はマリにとって、壊れてしまった姉のこれからを考える上で救いになったのでは。
マリは姉の隣で安心して眠っている。妹からの愛を受け、白雪姫であるエリは、彼女が見せる微かな信号からゆっくりと覚醒に向かっていることがわかる。


おまけ

高橋がアルファヴィルに一緒に行った女の子はエリだったのか?

エリである可能性もある。高橋が訳ありげな感じで話を濁すので。また、自分の中で失われつつある愛情というものを確かめたくてエリが高橋を誘ったのだとしたら、この小説が「アルファヴィル」というモチーフをベースにしている説がうまく機能する。

でも時系列的に考えるとあまりしっくりこない。可能性が0という証拠にはならないが。

4月:エリと再会、アルファヴィルでカオルさんにスカウトされバイトを始める
9-10月頃:バイトを辞める
10-11月:現在

アルファヴィルでのバイトを始めたきっかけについて話す彼の口ぶりは「当時は初心だったんだ」というふうに聞こえるので、大学一二年生くらいのときだったのではという印象があった。あと、「今でもたまに遊びに行く」という発言からバイトを辞めてしばらく経っている感じがある。今年の4月にバイトを始めて半年近く続けていたとしたら、辞めたのは最近ということになり、「たまに遊びに行く」時間の間隔が充分にないという点で違和感がある。

まあでも結局、わからない!


~完~


この作品から読み取ったことをとりとめもなくメモして、それを項目ごとにまとめていったらこのような形になった。もっと要点を絞ってコンパクトに仕上げることもできたのかもしれないが、どんな思考フローでこの結論に至ったのかも示したいという思惑があったのであまり端折らずに書いた。
この作品ではあちこちで1つのテーマについて言及され、さらに派生的テーマが物語の隅のほうで生まれて、メッセージの全体像が編まれていき、とある世界が小説の形をとって現れる。だからわかりやすく・かつ話の流れに逆らわずに説明を組み立てるのが非常に難しかった。「この話題は先に出した方がいいかな…いやでもメインはこっちの話だからそれを先に片付けないと混乱するかな…かといってここまで進めてしまうとあの件を出すタイミングが無くなるし…」といったふうに。ベストな構成にできた自信はないので、今後ちょいちょい推敲していくかもしれない。

タイトルも大いにに迷った。考察記事ですよというのを前面に押し出したものの方が分かりやすいよなあという考えはありつつも、最終的には「ハッピーエンドを願って」という、高橋に寄り添った一言をくっつけることにした。危険が潜む社会はこれからも変わらず続いていくけれど、浅井姉妹も高橋も、時に大切な人と助け合いながら、自分のことは自分で決めていく。それらの選択がハッピーエンドに繋がっていることを願って、この記事を〆る。

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