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シリーズ:葛原妙子鑑賞#2「あらそひたまへ」

あらそひたまへあらそひたまへとわが呟くいのちのきはも爭ひたまへ

葛原妙子『燈黄』

「あらそひたまへ」「爭ひたまへ」と二種類の表記がある。これはモチーフと考えるべきだろう。ひらがな表記の「あらそひたまへ」は静かな祈りにも似た響きを持ち、一方で漢字の「爭ひたまへ」は切実で壮大な闘争の意志を感じさせる。
何度も繰り返されるモチーフは、「いのちのきは」=「生命の際」というテーマを奏でている。

さて、「生命の際」とはなんであろうか。「際」を広辞苑で調べるとおおよそ二つの意味がある。ひとつは果て。もうひとつは境目。
葛原が描いた「生命の際」は単なる生死の境目ではない。それは生命が死という通過点を越えた先に広がる「果て」だと私は考える。

「いのちのきは」が何と争うことを葛原は望んだのか。
それは生命の通過点にある死とはまた別の死である。
と葛原がそう呟いているように感じるのである。

この歌において葛原が呟く「あらそひたまへ」は、死の際に立つ生命への祈りであり、同時に生命そのものへの闘争の叫びである。死を超えた先にある果てまで、生命の限界を押し広げようとする。
その烈しい意志が、この短歌全体を力強く貫いているのである。

#短歌 #葛原妙子 #短歌鑑賞

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