思考の核となるべき、思想について
私の論だが、頭の良い人間というのはなんらかの哲学を持っていることが多い気がする。
映画のくだりではないのだけど、哲学や読んだ物語から引用し、分かりやすく思考を語ってくれる。
さて、私は頭の良い人間ではない。
自慢げに言うことではないが、私には自分の思想という核がないのだ。
私の人生において思想という名を核というものがない方が圧倒的にラクだったからだ。
思えば、私の人生においては他人に従うべき場面が多かった。
そんな人間が思想なんて持っていてもしょうもないのだ。
だから、私はへらへらと笑っていたし、求められた言葉を話す。
本当にふにゃふにゃしていて、どうしようもない人間だ。
近年、私は、思考を試される場面で迷うことが多くなった。
そこでいろんな頭の良い人間のすすめもあり、今まで読まなかった書籍に手をだす。
私の偏見でとりあえず、ビジネス書や自己啓発本以外は大体、読むかな……。
――シオランの言葉は分かる。私は非出生主義者ではないし、シオランの本を非出生主義とも受け取っていないが、理解はできる。
深夜の静けさに、シオランの言葉は似合っている。
今は、意識的にシオランの本を開かないけれど、私は大切にシオランの本をとってある。
――私にはニーチェの言葉は傲慢に思えた。ルサンチマンだといわれて読んだ。いくつか、読んだ。面白かったが、先述の感想になる。
だから、私にはニーチェの言葉は不要だ。
――サルトルの本はまだ読めてない。今でも入手可能な本を買った。
でも、私は出口なしに登場する「他人とは地獄である」を自分の目で確かめたい。
この言葉は怒った私に対して大好きな人がいった言葉だ。
私は怒っていることも忘れて、言葉の意味に興味を持ってどういう意味かと聞いた。
本当に、私の扱いが上手い。
細かな解説に、感心してしまい、私は逆に相手を褒めてしまった。
他人とは地獄である。
まだ、自分の目では確かめられてないけど、30歳になった私にはこの言葉の意味がなんとなく分かるような気がするんだ。ううん、強く感じている。
――カフカの言葉が好きだ。
どうして、カフカの言葉はあんなにも心地良く、いつも聞こえるのか。
私は言語化できずにいるが、カフカの言葉は好きなのだ。
映画でも書籍でも私が好きな媒体は不条理演劇だ。
カフカやカミュはもちろんだが、ゴドーを待ちながらの作品構造がとても好きなのである。
だから、私が好む作品は不条理演劇が多い。
世間的には、あまり評判は良くないと聞いたが、私は「ボーはおそれている」がとても好きだ。
元々、ミッドサマーが大好きな人間だった。
ミッドサマーは話題になっていたので、レイトショーでディレクターズカット版を観た。
とてもご機嫌な映画で、私は手を叩いて喜んだ。
何せ、映画という文明に触れていなかった私が、自分の手で数年ぶりにとても満足な映画を見つけられたのだ。宝物を見つけたような気持ちだった。
だから、いろんな人にミッドサマーの良さを熱弁したのだけど、みんな、石の裏にうじゃうじゃとダンゴムシの大群を見てしまったようなリアクションをした。
やはり、私は映画の趣味が悪いらしい。
時系列が逆になったが、その後、ヘレディタリーを観た。
……あれは、人類があそこまでおぞましい映像をつくれることに感動させられた映画だ。ラストの10分にミッドサマーの系譜であることを感じた。
そう、私はアリ・アスターが好きなのだ。
ボーはおそれているは、ミッドサマー以来にリアルタイムで観れた映画だ。
しかも、あのアリ・アスターが不条理演劇をつくってくれたなんて。
暫定1位で私はボーはおそれているが好きなのである。
誰が何と言おうが一番好きなのである!
どうして、哲学の話をしているうちに、好きな映画の話に転んだか分からない。
ともかく、アリ・アスターを観たことのない人間は人生において大きく損をしている!
今すぐ観るべきだ!
そして、石の裏にダンゴムシがうじゃうじゃいるのを見たような顔をしてくれたら、私はとても嬉しい。