エッセイが面白いもんで
最近はエッセイを読むのにハマっている。
ハマっているといってももうその時期はとうに過ぎ去り、今は別にそんなでもない。
いやハマっているというか、僕はつまみ食いが好きなタチで。
読んではやめ、読んではやめを繰り返す。
いつだったか読みはじめた東野圭吾氏の『プラチナデータ』をニ、三度最初の50ページほどを読んだ。
そしてその途中のまま他に目移りした。
今もまだ読み終えていない。
そして映画も観ていない。
映画観たいなあ。
このようにして目移りする。
だからこの目移りを僕は勝手に「つまみ食い」と呼んでいる。
本来のつまみ食いを基本僕はしない。つまみ食いとは言ったものの、全部食べてしまうから。
それはもうつまみ食いとは呼ばない。全部食いだ。いや食事だ。
昼でも夜でもない、中途半端な時間に食べる食事だ。
話は食うことに逸れたが、どうにも体がだるくなったらどれだけ面白くても読むのをやめることが僕にはできる。
できるというのもおかしいけれど。
つまり読書する姿勢、同じ体勢を一定に保つということができない。
世のみなさんはどういった体勢で、どのくらいの時間、文章を読み続けることができるんだろうか。
この先読書が好きな人に会った時、別に読書に限らないけれど、一定時間何かに集中する人に会ったときは聞いてみたい。
どんな体勢で、どのくらいの時間、そのままでいられますか。
最近の僕が最も気になることの一つである。
一定時間じっとしていられない。
それはもちろん学校や職場ではなく家での話であって。
そんな僕にはエッセイが性に合っている。
一話完結。
スッキリまとまっているものから、長々としたものまで。
なんとなく一本の軸を基準にまとまっている話よりも(もちろん小説や新書なども好きだけど)、くねくねと曲がりくねった道をなぞるのが好きだ。
道というよりも、もはや道を外れて草むらに入ってるのが好きだ。
もちろん一冊のエッセイ本の中に、複数の題があってそれがまとまっている。
のだが、その一つのテーマ、タイトルが付けられているものであっても、エッセイだとすごく自然な感じがする。
自然というのはテーマやタイトルに縛られていないという意味で。
僕はそのなんとなく自然な感じが好きだ。
著者が基本的に自由に書いているというのが大きいと思う。
ここで僕がエッセイ、言い方によっては随筆についてあれこれと書く気はないのだけど。
とにかくエッセイが好きなんだあということだけでも伝わればいいかな。
著者の生活や、思考や、作品への思いが少しでも感じられることが僕には魅力なのだと思う。
覗き見が好きといったらいいのか、なんといったらいいのか。
齧るのが好きというか。もう食べることが頭から離れない。
お腹減ってないけどなあ。
なんの変哲もない石ころが、不意にダイヤモンドに変わるような。
ありきたりだけど。
ありきたりな生活や考え方が著者の文章、つまりエッセイを介することで目を見張るようなものになる。
そんなエッセイにハマる時期は過ぎたというか、これからもずっとかじり続けたいというか。
それで歯がボロボロになるというより、歯が強くなるような。
あまりいい例えではないかもしれないけど、そんな風にいられたらいいと思う。
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