ささやかな愉しみ
毎朝起きてから、コーヒーを飲む。といってもこだわりなどはなく、パックのインスタントだ。砂糖を入れるでもミルクを入れるでもなく、その真っ黒を飲む。
コーヒーを飲んでいると、なんだか落ち着く。といっても飲む前からすでに落ち着いているような気がする。朝からバカみたいにはしゃいでるわけじゃなし。
なので、コーヒーを飲むからリラックスするのか、リラックスしているからコーヒーを飲んでいるのか分からなくなった。どっちでもいいと言えばそれまでだけど。飲みながらどっちかなと考える。
こういうどうでもいいことを考えているときは気づいたら、コーヒーが冷めている。やってしまったとその冷め冷めとした残りを飲み干す。あの冷たい残りのなんともいえない感じ。コーヒーに含まれるカフェインの効果を待つより、冷たい残りの方が眠気覚ましになるんじゃないのか。冷たいし、苦いし。
僕はあるとき、その「悪魔の飲み物」と称されたコーヒーを飲み始めるようになったきっかけについて考えた。
あれは高校生の受験期だったか。スティックの粉ミルクティー(赤ちゃん用ではない、市販のお湯に溶かすやつ)を愛飲していた。あるときふいにその甘ったるさに嫌気がさした。
僕はこんなにも苦い日々を送っているのに、君はなんて甘いんだ。君の甘さと引き換えに、僕の生活を甘くしてはくれまいかと。
そうして僕はミルクティーをやめて、コーヒーを好んで飲むようになった。晴れて僕の生活は甘ったるい日々となって、ミルクティーは苦い苦いコーヒーへと変わってくれたのだ……。
……なんてことはなく、僕の生活は相変わらずの苦さだし、ミルクティーが突然コーヒーに変わるわけもなく。コーヒーを飲み始めたのは本当に「なんとなく」だった。
本当に甘いのが嫌になったのかもしれないし、そうではなかったかもしれない。
だってコーヒーを飲み始めた理由なんて覚えていなかった。単語を覚えるのに必死だったから。
だけど少し残念な気もする。今となっては、ほぼ毎日飲むようになったコーヒーの「初めて」を覚えていないのは。逆に覚えていないからこそ、今まで飲んでいたのかもしれないけど。
僕の毎日に劇的な出会いはそうそうあらわれない。
今を作り出しているのは、自分が意識していることだけではなくて、もっと色んな「なんとなく」を含んでいるんだなと思った。
高校生だったあの頃と、今とでは決定的な差があるかといわれると特にない。高校生のときは、コーヒーを飲んでいる人をどこかかっこいいと思っていたくらいだ。
今や自分がコーヒーを飲んでいる。別に飲んでいる自分の姿をかっこいいと思ったことはない。普段何気なく飲んでいる。コーヒーは僕のささやかな、愉しみだ。
コーヒーを飲む愉しみは、今後他に取って代わることはないだろう。
なんとなく毎日をささやかに演出してくれることが、僕がコーヒーを毎朝飲む理由なのかもしれない。