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ある初夏の旅(2)因美線編
恋山形駅のピンクにも慣れてきたころ、列車はやってきました。智頭駅に向かいます。
智頭から因美線に乗り換え。
牛山さんの本に出てきた知和駅、降りてみたかったのです。
昭和の時代の木造駅舎がそのまま残っているとのことで、そういう駅をぜんぜん見たことのない私にとっては未知の世界です。
因美線は車窓の緑も美しく、私の頭の中ではブルッフのスコットランド幻想曲が流れ始めました。心からほっとできる優しい景色。
そして到着、知和駅です。
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……なんて美しい駅なのでしょうか!
静かで温かい空気を感じさせる駅舎です。
国鉄時代を知らない私ですが、昔はここに駅員さんが立って紙の切符を回収していたのだなあ、おおこれが「チッキ」というものか、などと思いつつ木の手触りを楽しみました。
この旅はコロナ前でしたから、何も考えずに駅舎に触れてみたものです。
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ちょっとベンチに座ってみたり駅ノートを読んでみたりしたあとは、出発です。
出発。
そう、隣の美作河合駅まで歩くのです。
この私がおとなしく一時間座っているわけないでしょう。
知和を出て、美作河合に向かって歩きはじめたわけですが……
この道のりの感動はずっと忘れないと思います。
知和の静かで優しい空気がずっと美作河合まで続いているような、ただ歩いているだけで体と心が浄化されてよみがえっていくような心地よさがありました。
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水が流れる音と、草の匂い。
やわらかい風が肌をくすぐって気持ちいい。
来てよかった、ほんとうに来てよかった!
私は歩きながら「自由への扉(塔の上のラプンツェル)」を熱唱しました。辛いときも、きっとここに来たら頑張れる。
こんな素敵な場所があったなんて。
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小一時間ほど歩き、美作河合駅に到着。
知和とよく似た、優しい気配があふれる木造駅舎が迎えてくれました。
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横見浩彦さんはここを全駅下車の旅のゴール駅にされましたが、なるほど。ここで旅を締めくくりたいと思われたのがわかったような気がしました。
列車を降りたら「ただいま」と言いたくなるような、ほっとする空気。
まあ……私は歩いてきたわけですけれども。
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ああ、素敵!!
なんて素敵な駅なの。
ホームをうろうろしていた私は、また嬉しくて叫びそうになりました。
転車台がある!!
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当時の私には変なこだわりがあり、「なんでも自分の目で見て感動したい」という考えから敢えて目的地について詳しく調べたり写真を検索したりせずに駅を訪問していました。
駅についての書籍も、フルカラーの写真が載っているようなものは意図的に避けていました。
書籍に載っている写真はプロが天候やシーズンなどすべての条件のベストが揃った日に撮影したものだから、たぶんマックスの姿です。実際に行ってみて「なんだ、こんなものか」となるのが嫌だったのです。
そのような事情から、私は美作河合駅の転車台についても詳しく調べていませんでした。
というか生まれて初めて見た転車台がそれでした。
転車台があるのは線路の向こうで、もちろん線路は立ち入り禁止ですからホームから背伸びして覗くような観察しかできませんが、とにかくあれが転車台!
あそこに列車を置いて、回す!
向き変わる!
あっはぁぁぁ、丸ぅい!! まんまるじゃぁん!!
などともう一人で興奮を抑えられずにクネクネしてしまいます。
私の中の「ここに来てよかった」が決壊し、ホームに這いつくばって転げ回りたくなりましたが、それによって事故が起こるとたくさんの方に迷惑をかけてしまうので我慢しました。
ここで列車を待ちながらしみじみと思ったのは、駅という場所は、正しく切符を買えば、いつ来ても、夜中に来ても早朝に来ても、何回来ても怒られない素晴らしい場所だということです。
駅って素敵なところだな。
静寂を楽しみつつ心からそう思いました。
夜、鳥取の旅館で身内と合流。
みんなでワイワイと食事をしながらも、わたしの頭は今日見てきた美しい木造駅舎のことでいっぱいです。
そして翌朝、また協調性のない私はひとり列車に乗り込むのでした。
つづく