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秋間梅林って?

57年前、秋間梅林は観光梅林としてスタートを切った。


最初は梅ありきではなかったというから驚きだ。秋間梅林という地域は、他の地域より標高が高く、日当たりも水はけも良かったこともあり、梅に適していたため、明治後半~大正初期に梅栽培が始まったという。


戦時中、高崎の歩兵第15連隊への献上品として、秋間梅林の担当が『梅干し』と指定されたことによって、これまで以上に梅栽培が盛んになったそうだ。この時、梅干しの殺菌作用が重宝されたという。


昭和30年代頃、梅酒ブームが起こり、秋間梅林の青梅は飛ぶように売れた。
割れた梅だって、拾って売れた時代だった。
他の地域も梅を植え始めた。
この頃の梅を『青いダイヤ』と称し、高値で取り引きされたのである。

昭和36年頃、高度成長期も重なり、観光ブームとなり、秋間梅林にも多くの人が訪れた。これが生産梅林から観光梅林へ変わるタイミングであった。

その年に『秋間梅林観光協会』が設立され、梅農家が会員となり、今日まで秋間梅林を守り続けてきたという流れがある。

その『青いダイヤ』と呼ばれていた青梅は1kg1000円以上の取り引きだったのにも関わらず、価格は段々と下がり、今や、1kg平均300円程度、低い時は250円くらいまで下がる。

そして、やはり連動して梅農家の高齢化となり、価格の下落も影響していたかは定かではないが、後継者不足となり、今に至る。

原因は色々あるとは思うけれど、そこを言っていてもなにも始まらない。

今の秋間梅林には何が足りなくて、何が必要なのか、そのパズルを作り上げるためには色々なピースをとにかく当てはめ続けるしか、ないのではないかなと思う。

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