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サードプレイスが楽しい京都 その土地に住むとはなんだろうか。

何が私をこの土地に住まわせてくれるのだろう…京都にいる間、眠れない夜にそんなことを感じた。そして今、私は何をやっているのだろう…とも。

8月の後半2週間を京都で過ごす予定であったものの、私は今、福井の家で猫とともに暮らしながらこのnoteを書いている。

福井に帰ってからふと、友達の言葉を思い出した。
「結婚したことで前より福井にいていいんだって思えるようになったの」
年明けに結婚した彼女は、会ったとき妊娠中でもあり、そんなことを話していた。
私はなんでそんな、あなたがここにいることを誰も許可をする必要なんかないし、あなたは別にここにいればいいのよ、そんな福井なんて土地はそんな許可なんかもらわなくてもいいんだから、
なんて、心の中で思っていた。
でも、それは私が福井に家族もいて、子どものころから当たり前のようにいて、友達もいるからだなと後から気づいた。

故郷を離れて慣れない土地に行くと、誰もが不安になる。
ここにいていいものか、という気持ちにも時折なる。

私は京都に来てから、彼女の言っていたことを思い出し、あぁこういうことか、と思った。

ここにいることを決めているのは自分だけど、受け入れてもらいたいのかもしれない。自分の心のホームとなる家族や愛する人に。

サードプレイスという言葉を知っているだろうか。
家を第一の場所、ファーストプレイスとし、職場はセカンドプレイス、さらに家でも職場でもない、第3の居場所がサードプレイスだ。
人によっては趣味の場所やサークルであったり、居酒屋であったり、あるいは図書館であったり…いろいろだろう。

私は最近、この2、3年ほど京都のサードプレイスがすごく好きだ。
実は今回京都に行こうと思ったのも、お気に入りのサードプレイスに行きたかった、そこにいる人たちに会いたかったというのが大きかったのかもしれないな、と行ってからよくわかった。

居酒屋やカフェで、一期一会の出会いだったけど、また会いたい、あんな空気感にまた触れたい、と思って、また来てしまう。

自分でもなぜそれを希求するのか、よくわからない。ただ、私は人と会うのが好きで、でもなおかつ1人でいるのも好きなのだ。
そんな自分にとって、サードプレイスというのはすごく重要だなと思っている。

実は10年ほど前、ずっと住みたかった奈良から地元の福井に戻ってきたのも、サードプレイス的な存在が大きかった。29歳だったあのころには、周りにたくさん東京や大阪などからUターン、Iターン組がいて、地元の街を面白くしたいという気概で溢れていた。そんな人たちと出会い、話すことはとにかく楽しかった。

時は巡って、コロナ禍のいま、なぜかわからないが、福井にいて話が合う、というか話がなんか通じるかなぁと思う人が少なくなっていた。原因はわからないが、私も周りも変わった。みんな、結婚して子どもを持ち、サードプレイスで楽しむことから家庭生活をつくることにシフトしていったのかもしれない。
私は気がつくと、ぽっかりと空いた孤独感を京都で癒していた。

大阪のライター道場で出会った人たち、そしてTwitterで知り合ってから何度か京都を訪れていくうちに、友達が増えていった。

でも、いちばん京都のサードプレイスの楽しさを知ったのは、友達とも会わなかったときにひとりで行った場所だ。去年秋、ひとりでぷらっと入った立ち飲み屋さん、カフェ、公園…そこで出会った人たちと話すのがなんとも楽しかった。こういうのが好きな性分もある、一期一会という身軽さの中での会話。
でも、また会いたいとも思う。
そんなことを繰り返していくうちに、何度も京都を訪れるようになっている。

私はどうしたいのだろう…京都に住みたいのか。
サードプレイスは、わざわざ行くような観光地でないことが多い。大概は、地元に住んでいる人向けにある場所である。これは、ここで暮らしている人たちのための場所である。しかも京都というよりは、例えば西陣とか、三条とかその地域の人たちのための場所。
私はつい、そこが気に入ってしまって行きたいのである。
それらは京都の地元民が集うというわけでもない。主に京都外から来た人たちが集まるからこそ、何か合うものがあったのかもしれない。

私はでもそこに行きたくて滞在することにした。当初の予定で2週間。

でも、なぜか今回はどことなく滞在先の家ではあまり寝れなかった。とてもいい人たちだったけど、そのせいか余計に緊張して寝つきが悪かった。

眠れない夜にふと、思った。
いったい私は何をしているのだろう…
サードプレイス欲求を満たした後に、何かここの土地に対して必然性を持って関わりたくなったのかもしれない。
いまだに必然性というものはよくわからない。
仕事でも結婚でも何でも、もう少し自分が必要とされている状況。
そこで今年結婚したその友達のことを思い出したのだ。

仕事のため1週間ほどの京都滞在を終えて福井に戻ってくると、なんか余計に福井という土地の呼吸のしやすさや落ち着く感じを強く意識した。

好きな土地と私が今いるべき土地とがイコールになったらいいなと思う。
ファーストプレイスもセカンドプレイスもサードプレイスも一致しているといいな。

しかし、そうなるには、私がただ好きではなく、落ち着くなとか安らぐなという感覚であったり、必要とされているなということであったりということなのかもしれない。

しかし、好きな場所、好きな人には何度も会いに行きたい。

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