oasisとくるりと放浪者と
その店ではoasisがかかっていた。
最初はoasisを掛けていること、と私もoasisが好きです、とだけ言えたらいいかなぁという思いだった。
「歳はおいくつですか?」
そんな質問になってしまった。
「私、今37なんですけど、オアシスよく聴いていたなって思って」
確かそんな聞き方をしていたと思う。まさか、その質問がその人の中学時代から始まって、青春時代の思い出話につながり、今思っていることにまでつながっていくとは。とにかくその人の話がすべてつながっていた。面白いくらいに。
お店と自分もシンクロしていたかもしれない。お店の名前は、wondereres。日本語に訳すと、放浪者とか渡り鳥とかそんな感じ。
私は、福井から京都に来て、1週間くらい五条に滞在しつつ、京都のあちこちを「放浪」していた。結局、そういうことが好きなのだ。
そのお店は、滞在していた宿から歩いてすぐのところにあった。五条通に向かって歩いてスーパーに向かっていたとき、ふと、お客さんが並んでいるのが気になった。人気店なんだろう。おしゃれで今どきな感じの若い人たちがお店の外で待っている。
後から地元の人に聞くと、コロナ前はガイドブックを持った外国人や若い人たちが並んでいて、たくさん来ていたそうだ。コロナになってからは休業したときもあったが、今もお客さんはそれなりに来ているらしい。これも後からわかったが、この五条周辺は、簡易キッチン付の自炊できる宿が多い。私もそんなところに滞在していた。1日目と2日目は違う宿だったが、どちらもキッチン付で夜は作ることもあったが、朝は面倒くさいときは外で食べるのもありだなと思った。もう少し歩けば、おいしいパン屋もあった。
とにかく、そんな感じで土日は忙しそうなので、この人気店には平日の比較的空いているときに行こう、と思った。
どんなおいしいお店なのだろう。
BAKERYとある。単にコーヒーが飲めるというだけでなく、パンが食べられるお店のようだ。
月曜の朝、いつも京都でお願いする美容室に行く前、寄ってみた。
11時に予約していたから、10時に寄ったとき、ちょっとこれは時間がないかもしれない、と思った。
でもつい、話をしてしまった。
まさか、ちょっと古い大正や昭和のガラス窓いいね、なんて話ができるとは思っていなかったのだ。
このお店のすぐ横の通りに入れば、京都らしい昔ながらの家や建物が並んでいる。
あるいは、お店の前の西洞院通を歩いていて、ちょっと昔の昭和のフォントが面白いなぁなんて思っていたところだった。
こんな話がまさか初めて出会った店員さんとできるとは思っていなかった。
お店のパンはすごくおいしかった。
いや、もう少し言えば、パンと目玉焼きの間に挟まったポテサラがめちゃくちゃおいしかった。パンはもちろんのこと、ポテサラが、そしてその間にやってくる、クルミやアジアンなドレッシングが。触感や食味を時々変えてやってくる、飽きさせない、それでいて優しくて、スパイシーで。食べるたびにやってくる変化が、おいしいというだけじゃない何かを残す。
それは、このお店そのものだった。今も、お店の余韻が残っている。
お店で焼かれるパンは、店内にいい香りを生み出し、それも心地よさをつくっていた。
このお店に来た初日の月曜の朝、店主と昭和時代のフォントの話ができたことが楽しくて、でも時間がなくて、名残惜しく、離れたものだから、次の日も来た。
次の日は、滞在していた宿のチェックアウトだった。4月2日にきて、5日に離れることにした。とても居心地のいいところだった。3泊4日はあっという間。これから二軒茶屋の知人のところに泊まりに行く予定だった。
でもスーツケースを下げていくのが面倒で、どうしたらいいものか、相談してみた。
彼は「僕なら送る」と言った。これまで東京や金沢、京都と行き来して来て、そういうときには荷物を送ることにしていたそうだ。
なるほど、と思った。それならこの近くのコンビニに持って行くとよさそうだ。どうせ駅のコインロッカーに預けても、1泊2日は1000円くらいするだろう。駅まで行くのも面倒だ。地下鉄で一駅とは言え、ガラガラを下げて階段を上ったり下りたりするのはなんとなくおっくうになってきた。行きの時はこれを下げてあっちこっちそんなふうに来たというのに、今となっては面倒くさい。
店主に相談してよかった、と思った。
こういうどうしたらいいかなって思うとき、話せる人と話すと、自然といい答えが見つかるときがある。
そのときだったと思う。
店内でオアシスがかかっているのが気になった。頼んだコーヒーを飲んでいると、3,4曲有名な曲がかかっている。たぶん、数曲リピートしている。Don't Look Back In AngerやStand By MeなどMorning GloryやBe Here Nowといった黄金期のアルバムに入っている曲たち。
中学時代、よく聴いた。いや、高校時代も大学時代もその後も。
「つかぬことを伺いますが、歳はおいくつですか?私、37なんですけど、オアシスよく聴いたなって」結局こんな質問になっていた。
「僕は今40ですけど、オアシスは中3の時に洋楽としては初めてのアルバムを買って、すごくドキドキしながらCDをかごに入れて自転車に乗って家に帰って。それでずっと聴いていました」
確かこんな風に答えてくれたと思う。
なぜかその情景がありありと浮かんだ。
だって私もそうだったから。オアシスが初めて買った洋楽CDだったかは忘れたが、そうやって初めて買うCD、初めて買う洋楽のナンバーをドキドキして自転車に載せて帰る。帰り道でドキドキしながら自転車をこいだこと、何度も何度もそのCDを聴いたこと。果たしてそのCDがそこまで好きなのかわからないが、いや聴いていくうちにまたどんどん好きになっていくのが音楽の不思議。そうやってまたまた何度もその音楽を聴いている。
部屋の中にこもって一人でずっと聴いていました。
その人がそう言ったとき、「そういう年頃ですものね」と答えたけど、私も本当にそうだった。
オアシスだけじゃなく、ミシェルブランチのSpirit Roomはどこかそのアルバムのタイトルにシンクロするように、部屋の中で一人何度もそのアルバムをずっと聴いていた。中学高校時代のこと。
と同時に、最近結婚した友達が旦那さんの連れ子で、中学高校の子たちがずっと部屋にこもっている、という話も思い出した。
子ども時代を思い出すとともに、そうやって人を見て、あるいはそういう人の話を聴いて追体験する。
それから店主の話は、フジロックになった。
初めてフジロックに行ったとき、オアシスが最後に歌っていて最高だった、と。すごくうらやましいなと心から思った。そんな青春時代にオアシスを聴けるなんて。
「フジロックって爆音で、身体全体にわーってくるというか」
「身体全体で音楽を感じるような感じですか?うらやましいですね」
フジロックに5,6回だったか何度か行ってから、まさかのお店としての出店がかなったそうだ。
その店主は、東京の飲食店で修業した後、金沢でお店を開き、さらに京都のこのお店に来た。もう4年になるそうだ。
こちらのお店では、東京のLittle Napという自家焙煎のコーヒー豆を取り寄せて、コーヒーを出している。そのご縁によって出店につながったらしい。
「正直金沢に行ったときは、こんなチャンスがやってくるとはもう思っていなかったからこっちに来て、こういうつながりができてとてもうれしかったです」
私は東京に住んだこともこういった都会に住んだことがないから、よくわからない。ほぼほぼ福井から出られず、これまでやってきた。でも東京や都会に住んだことのある人にとって、華やかなことにこうしてつながっていて、そうやってチャンスがあるものなのだと思う。地方のしかも「陸の孤島」と呼ばれる福井にずっといると、なかなかそういった感覚がわからないが、その「都落ち」ともいう感じも、華やかな感じも経験したことがないからこそ、その人から聞いていると想像してみると、ワクワクした。
京都は、東京とは違うとはいえ、東京とこんなふうにつながりがあって、また東京よりも外国人が多くて、また違った華やかさがあった。金沢もまた、同じ北陸とはいえ、一つの観光地として、福井とは違う華やかさがあるようだった。
そのお店は、宿泊者の「朝ごはん」として人気のようだった。その店主もまた、そんなふうにして自分の立ち位置を築いていったようだった。おいしいパンに、おいしい具材。
私はこれまでいろんなおいしいポテサラを食べてきたけれども、こんなにおいしいポテサラは初めてだったかもしれない、と思うくらいにおいしかった。普通に目玉焼きのトーストなのだが、まさか私が大好きなポテサラをこんな形で食べられるとは思わなかった。
話が京都の西陣に住んでいたときに、朝ルプチメックという超有名なパン屋の前を歩いていたら、ご飯のスイッチを入れて出たというのに、そのおいしそうなにおいにやられて1000円以上は買ってしまった、という話をしたら、
そのパン屋の話をしばらくして
そのじゃがいもパンがめちゃくちゃくおいしかったというと、
まさか、このお店にもじゃがいもパンがあった。
ポテサラ、じゃがいもパン、ポテサラのサンド、とじゃがいもを活用していた。だが、その店主にとって、じゃがいもはつなぎの存在のようだった。
「いや、じゃがいもは単体でおいしいです。じゃがいもが大好きなんです」と言っても、まだ単体としてのじゃがいものすばらしさを私が言うほどまでには思っていない感じだった。が、それでもじゃがいもパンもポテサラのサンドもやはりおいしかった。
金沢からこちらのお店にくる前に、何度か行き来していたらしい。自分で開いた金沢のお店を閉めて四年前、こちらのお店に参画することを決めたそうだ。
こうしてこのお店で仕事を始めたときに、くるりの「その線は水平線」をリピートで掛けていたらしい。
「でもお客さん気づいていないみたいでした」
いや、たぶん気づいていても、何と言ったらいいのかわからないのかもしれない。
その線は水平線という曲は、くるりらしい音楽だ。
「くるりってたまにこういう曲出すでしょ」
と彼は言った。確かにイントロもサビもなんとなく聞き覚えのある感じもする。
初めて聞いたけど、初めてのような感じもしなかった。でも初めて聞いたときは、正直どこがいいのかわからなかった。くるりの曲はそういうのが多い。最初はそんなでもまた聴いてみたくなり、何度か聞いていくうちにリピートしてしまう。
私は、今このお店のことを思い出しては、この曲を何度も聞いている。
「金沢からこっちに来るとき、ここでこの曲を掛けて、水平線でつながっているということをお客さんに伝えたかった」とその店主は言った。
金沢でなじみにしてくれたお客さん、仲良くなった人たち、そこで築いたものを手放してこの地にやってきた。明るい未来を描いて。
私はお店をやった経験もないけれど、店主の苦しい気持ちも晴れ晴れとした気持ちも、想像しながら、一緒に追体験しているかのようだった。
あれから4年経って、明るい未来はどうなったのだろう。
私がトイレを借りて、出てきたとき、ふと彼は今後考えていることを話した。
彼にとって、もしかしたら今は何かの節目なのかなと思った。
彼は子どものことを話した。
6歳になる息子のこと。年長で、保育園には京都らしくいろんな外国人がいること。その子たちの成長を見守るのが楽しみなこと。来年卒園すること。その節目に自分自身も重ねていること。
息子を抱いているとき、自分が子どもだった頃のことを思い出すという。
「親になるってことは自分の子ども時代を追体験するような感じなんですかね」と私が言うと
「そう。息子を抱きながら自分の子ども時代のことを思い出すんです。親に抱かれながら、寝ているふりしていたこととかね」
私はそんなこともう、覚えていないなと思っていると、それに感づいたように
「僕もね、忘れていたけど、自然と子どもを見ていると自分の子ども時代のことがよみがえってきて」という。
私はコーヒーを飲みながら、店主は時折、焼けたパンをオーブンから取り出しながら話しているうちに、気が付くと2時間が経っていた。それは3時間も4時間も経っていたかのような気がしたが、後で時間を見たら、やっぱり2時間にもなっていないくらいだった。その2時間に、店主の青春時代が詰まっていた。
中学時代に初めて洋楽のCDを買ったときのこと、オアシスを何度も聴いたこと、大学生になってフジロックに行ったこと、東京から地元に夜行バスで戻りながらくるりのグッドモーニングを聴いたこと、京都のお店に参画してから、初めてフジロックにお店として一緒に出店したこと。そのときの貴重な経験。京都に来てからお店でやりたいことを1年で成し遂げたこと。フジロック出店も含めて。いろんな繋がりやシンクロがそこにあった。
その話は、数珠のようにつながっていて、途切れることがなかった。
この人はそんな風に偶然や運命のようにして、人生をつないできたんだなと思った。笑顔がとても素敵だった。お店をやっている人、続いているお店の人のほとんどがそうであるように、誰もから好かれそうな顔をしていた。
初めて来た日は、どこかすました顔をしたクールな女性の客がいて、お店はどこか異国情緒があってなんかおしゃれな雰囲気があったけど、話してみると、素朴で親しみがあって、すごく近く感じた。
店主が言っていたように「最後はうちにいるみたいな感じになっていた」
カフェという場所は、お店であると同時に寄り合いのようでもあり、店員や客という垣根を越えて、人間と人間の一期一会の場となる。
いったんお店を出て、宿に戻ってロビーで荷造りを再びしていると、持ってきてしまった、なたね油が気になった。これは送れないしな。
もう一度、お店に行って「よかったら使いませんか?」というと、快く受け入れてくれた。
「代わりに、サンドどれでも好きなの、持って行ってくれてもいいよ」と言ってくれた。
「たぶん、もうお昼回ったら出ないから。物々交換ですね」と笑った。
私はポテサラのサンドをもらった。
二軒茶屋に向かうまでの電車の駅と国際会館駅の近くの公園で食べた。
すごくおいしかった。
なめらかなマッシュポテトのなかに、ときどき辛いペッパーなのか、なんなのか、出てくる。そして甘みのあるものも。
まるで人生のようだと思った。彼の人生、青春時代。きっと甘いこともあり、辛いこともあったんだろうなと勝手に想像した。
食べながら、何度も反芻しながら、彼から聞いた青春時代のこと、勝手にそのポテサラに重ねていた。じゃがいもパンのなかに、甘くも辛くもあるポテサラと時々カリッとしたくるみが触感を変えてやってくる。何度も味わっていたい、と思ううちにすぐに食べ終わった。
笑顔で別れられてよかった。
彼は最後に「悪意のある理解と好意のある誤解」という言葉を出した。「好意のある誤解が大事」と言っていた。カフェや喫茶店では、お客さんから好かれることもよくあるのだろう。いろんな意味でお店の人が好きだから来るのだ。
「いつもはすました顔でお店に立っているけどね」と彼は言っていた。
青春時代の話を聴いた後では、とてもすました顔だけでない素顔を知って、とても身近に感じたけれども。
また来たい。今度は友達を連れて。
このお店の雰囲気に合う、同世代の友人が頭の中に浮かんでいた。
最後に聞いたこと、今後のこと、いろんなことが余韻に残って、またお店に来てこの人がこのお店これからどうなるのか、見ていきたい。どうしてもそんな気持ちになっている。
くるりのアンテナと「その線は水平線」、オアシスをリピートで聴きながら、その店のことを思う。
またあのコーヒーとあのパンとポテサラを食べに行くのだ。また会えるだろうか。またオアシスとくるり、聴けるだろうか。