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パリの空の下、絶品ワインとおっちゃんたち

フランスの記録映画作家マークと、フランスを代表する新聞「ル・モンド」でコラムを書いていたオリヴィエの二人が、大阪のぼくを訪ねて来たのは、もうかなり昔、1980年のことだった。

ぼくのフランス人の親友アントワーヌが彼らに言ったらしい。
「日本に行ったら、大阪のウマと会うといい」

彼らは、大阪のぼくの実家に滞在し、かなり精力的にあちこち観て回ったようだけど、もちろんぼくも彼らをいろんなところへ案内した。
当時50歳前後だったオリヴィエは、ぼくの家で食事をする時でもネクタイを着用するなど、かなりの洒落者で、毎朝、ウチの洗面台で一時間ほどかけて身支度をととのえていた。ぼくなんか、長くて1分や。
彼らは、大阪はもちろん、奈良や京都など、取材も兼ねていたとは言え、日本を大いに楽しんでパリに帰って行った。

さて、1982年2月、グラスゴーで結婚式を挙げたぼくは、日本への帰途、思い立ってパリに立ち寄った。当時アントワーヌは東京にいたので、マークとオリヴィエの二人に会おうと思ったんです。
ところが、オリヴィエとは連絡が取れず、マークに電話しても出なかった。仕方がない。マークの住所はわかっていたので、探し探し彼の住まいを訪ねてみた。

二人しか乗れない鳥籠みたいなエレベーターに乗って、彼の部屋を訪ねドアをノックしたけど返事がない。仕方がない。彼の帰宅をどこか近くで待つことにした。
来る途中の通りに、バー見たいな店があったのを思い出したぼくは、その店で、彼の帰りを待つことにした。

ガラスのドアや窓が開けっ放しの、かなり開放的なその店は、奥に細長いカウンターだけの店で、しかも立ち飲み。労働者ふうのおっちゃんたちが三名、ワイワイと昼間っから陽気にワインを呑んでいた。
ドアのすぐ近くに立ったぼくは、バーテンダーのおじさんに、おっちゃんたちが飲んでいる赤ワインを指差した。こういう場合、言葉がなくても通じるよね。「あれと同じのちょうだい」
おじさんは、カウンターにドンと置かれた樽から、ワイングラスになみなみと目一杯注いでくれた。キャッシュ・オン・デリバリーのようだけど、いくらかわからないからお札を出した。
かなりのお釣りがあったので、一杯いくらか、とっさに計算した。当時の日本円で80円と出た。あまりにも安いので、もう一度計算したけど、やっぱりグラス一杯80円や。安い!

ところがや、驚いた! びっくりや! この赤ワイン、めっちゃうまいのよ。
あまりのおいしさに目を白黒させてしまった。ぼくが英語で「ベリー・デリシャス!」と言ったら、隣のおっちゃんが、ポケットからカシューナッツをいくつか出して、ニコニコとぼくの前に置いてくれた。
「にいちゃん、これでもつまみ!」でしょうね。メルシー、ムッシュー、おっちゃん、メルシー!

そのワインの、あまりのおいしさに、お代わりした時、バーテンダーのおじさんに聞いてみた。
「ボルドー? ブルゴーニュ?」 おじさん、肩をすくめ両手を広げ困った顔をした。「わし、そんなん知らん」顔がそう言ってる。
自分のバーで売っているワインの産地を知らないんや。なんとええ加減なと、その時思ったけど、のちのちわかった。つまり、そんな産地のことなど気にせんでも、本物が身近に存在するってことなんやろね。ワインってさあ、日本では蘊蓄の格好の対象だよね。だけど、このパリの立ち飲みバーでは、蘊蓄なんてあっちゃ行けー!なんです。ぼくは、やっぱり、こっちを選びたいなあ。

そうそう、かなり後年、とてもお世話になった方をご招待した時、蘊蓄抜きでさりげなく出したドン・ペリニョンで乾杯したことがある。ドン・ペリニョンをご存知じゃなかった彼だけど「ウマ!これうまいなあ!」と言ってくれたのは、とても嬉しかった。それで充分じゃない?
そう、パリの立ち飲みで学んだことを実践したんです。ま、蘊蓄を語るのは、時と場合を選ぶってことかなあ。   

その、パリの立ち飲みのバーの、通りを挟んだ斜め向かい側に、立派な門構えの邸宅があり、制服のおまわりさんが数人立っていた。おっちゃんたちにその家を指差し「What is that house? (あの家はなんですか?)」 英語で聞いて見た。おっちゃんたち、口々に「プレジデント、プレジデント!」
どうやら、フランス大統領ミッテランの公邸だったようですね。大統領公邸の向かい側に立ち飲みのバー、パリって面白いね。

もう一度、マークのアパルトマンを訪ねた。でも不在だった。仕方がない。諦めた。
で、もう一度、その立ち飲みバーへ寄ったら、おっちゃんたち、ニコニコと笑顔でぼくを迎えてくれた。「よう、にいちゃん、また、来たんかいな!」ってな感じ。

最高に美味しい一杯80円のワインをお願いしようとしたけど、バーテンダーのおじさんったら、ぼくの顔を見た途端、もう、グラスにワインを注いでいた。いやあ、嬉しくなったなあ。言葉なしで気持ちが通じるっていいよねえ。 

嬉しくってニコニコしていたら、隣のおっちゃんが、また、カシューナッツを、さっきの三倍ぐらいくれた。そしてぼくの顔を指差し「ジャポネ?」と訊く。ウイ!ジャポネ!と答えたら、全員が「オオ!ジャポネ!」と、かなり大げさに手を広げて、もうニコニコ。どうやらジャポネ大歓迎みたいな雰囲気なんです。ぼくはさらに嬉しくなってしまった。
おっちゃんたちとカウンターの中のおじさんが、ジャポンやジャポネがどうのこうのと、日本のことを話題にしているのがわかったけど、皆さんニコニコしてるのよ。どうやら、日本と日本人に大いに興味を抱き、さらに好意を持ってるんやなと、ぼくは理解した。

とてもいい雰囲気の中で、気持ちよくワインを飲み干したぼくが、お代わりをお願いしようと空のグラスを持ち上げた時、隣にいたおっちゃんが、ぼくの手から空のワイングラスを取り上げた。
一瞬、何事か?と首を傾げたんだけど、おっちゃんたち全員が何やら相談したあと、小銭を出し合いカウンターに置いた。それを見たバーテンダーのおじさんがぼくに赤ワインを出してくれた。
おっちゃんたち、ニコニコしてぼくを見ている。まさか、おっちゃんたちがぼくにワインをおごってくれるなんてまったく思ってもいなかったぼくは、もう、感激してしまった。
メルシー! メルシーボクゥー! もう、メルシーの連発でしたね。

異国のフランス、その花の都パリ、たまたま立ち寄ったバーで、見ず知らずのおっちゃんたちにワインをご馳走してもらう。その時の感激、わかってもらえるやろか? あの時ほど言葉の通じないもどかしさを感じたことはないなあ。
しかしな、おのおの方、ほろ酔いとはいえ、その時のウマさん、心臓が強かったわ。

楽器が大好きなぼくは、長年の習慣として、旅行に出る時はいつもリュックにハーモニカを入れている。半音が出せる小型のクロマチックハーモニカです。
おっちゃんたちにワインをご馳走になったぼくは、お礼代わりにハーモニカを演奏しようと思いたったんです。ハーモニカを取り出したぼくを見たおっちゃんたち、何事や?と、はじめ怪訝な顔つきやったけど、演奏が始まった途端、店内は大騒ぎになった!

ぼくにとって、シャンソンの「パリの空の下」は、とても弾き慣れた曲やった。おっちゃんたち、もう大興奮でしたねえ。パリの空の下で、ハーモニカの「パリの空の下」。演奏が終わった瞬間、拍手、拍手、もう大拍手! そしてぼくに、ハグ、ハグ、ハグ!

心臓の強いウマはさあ、さらに心臓が強くなっちゃったのよ。
 
次の曲のイントロを即興でおごそかに始めた時「このにいちゃん、次は何を弾くんやろ」と興味しんしんのおっちゃんたち…ところが、イントロが終わり、曲が始まった途端、おっちゃんたち大騒ぎになった。シャンソンの名曲、あの伝説的シンガー、エディット・ピアフの「愛の讃歌」
もう、おっちゃんたち大興奮、「ウララー」と大興奮なんです。
そして、なんと、カウンターの中のおじさんも出てきて、ぼくのハーモニカに合わせて、全員が大合唱になったんです。もちろん演奏しているぼくも大興奮です。
「愛の讃歌」を終えて、間をおかず、すぐにぼくは、やはりシャンソンの名曲「バラ色の人生」を演奏した。そしたら、なんと、なんと、店にいた全員が踊り出したんです。ぼくは、もう、ここぞとばかり、あらん限りの大音量でハーモニカを吹きましたね。
 
その時、かなりの騒ぎになっていたと思う。なんと、向かいにある大統領公邸のおまわりさんが、何事かと、鉄砲を構えたまま店を覗きに来ましたがな。でも、そのおまわりさん、「ウララー」、店内の様子を見て、ニコニコと自分の持ち場へ戻って行きました。
そして、演奏を終えたぼくに、全員がハグ、ハグ、またハグでした。そして、ワイン、ワイン、さらにワイン…

異国の、予期せぬ場所での予期せぬ出来事は、忘れることの出来ない想い出となりました。
ぼくがワインの美味しさに目覚めたのは、パリの、その立ち飲みバーだったと、今にして思う。一杯80円の素晴らしいワインに出逢ったパリの空の下で「パリの空の下」をハーモニカで演奏した日本人は、たぶん、ぼくだけじゃないかなあ?あの時、あの店にいたおっちゃんたちの顔は、今でも鮮明に覚えていますよ。

かなり後年、ワインには旅をさせちゃダメだと知った。
特に長い船旅をするワインには防腐剤などが入っているとも聞いた。あの一杯80円の美味しさの秘密は、きっと旅をしていないからでしょう…

コロナが落ち着いて、また旅に出れるようになったら、また、パリの空の下でワインを飲みたいなぁ。

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