『働くということ 「能力主義」を超えて』を読んで考えたことのメモ
勅使川原真衣『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書、2024)が、めちゃくちゃ面白い本だった。
序章から、付箋を貼ったり線を引いたり、書き込みをしたりの連続で、1週間で2回読んでしまうほど、いろいろな気づきがあり考えることも多かった。この本を読んで、能力主義を脱して、よりよい教育や職場を作りたいという思いが芽生えている。この記事では、その本から気づいた考えを引用しながら自由に書いてみる。
僕が教員になったのは、「子どもたちに幸せに生きてほしい」「平和をつくってほしい」という願いがあったからだ。しかし、「能力主義」という巧妙に作り上げられたシステムの中で、どうすれば子どもたちと一緒に幸せな社会を築けるのだろうか?努力すれば能力が得られるという考えは、さまざまな場所で語られているし、子どもたちが(僕も)大好きなRPGゲームでも、経験値を積めば能力が伸びる。しかし、そもそもそのような社会の「スタートライン」にさえ立てない子どもたちもいる。多くの教員は「能力主義」の世界でマジョリティの立場にいるが、その事実に無自覚でいるのは無責任だと感じる。教育は、政治や経済の文脈に絡め取られすぎてはいないだろうか?
いろいろな職員室で生徒の問題行動などを話すときに「それって、自己責任だよね」という言葉を耳にすることがあったが、そのたびに何とも言えない気持ちになる。福澤諭吉が『学問のすゝめ』で語った「人は皆平等なのに、なぜ差が出るのか?それは、勉強をしたかしないかの違いだ。努力して勉強すれば良いだけだ」という冷たく感じる言葉が、今でも「自己責任」という形で残っているように思える。私は「完全な自己責任」というものは存在しないと考える。家族や出会った人々、住んでいる場所など、さまざまな影響を受けて人は決定をしていく。この点は、以前読んだ中動態に関する本で考えたことともつながる。
特別支援教育を学ぶと必ず出会う考え方に、「社会モデル」と「医学モデル」がある。「社会モデル」は、障害を引き起こすのは社会にある障壁であり、それを解決するのは社会の責任だという考え。一方、「医学モデル」は、障害を医学的に診断し、それを個人の問題と捉え、治療によって解決しようとする考え方である。「能力主義」と「医学モデル」の問題点は、共通しているように思える。この「医学モデル」の問題点は、障害についての考え方だけではなく、今の日本社会を理解するためにも有効だと思う。
※モデルの定義については、https://the-ayumi.jp/2023/01/31/social-model/を参考にした。
働くことについて、この考え方を大切にしたい。以前、一緒に働いた尊敬する学年主任の先生が、こう言っていた。「先生にはそれぞれの個性がある。怖いお父さん、厳しいお母さん、楽しいお姉さん、優しいお兄さん。それぞれの良さを活かして助け合っていこう。そうやって、チームとしてスクラムを組んで協力していこうよ。」と、4月の最初の学年会議で話したことが、今でも心に残っている。
ほんと、ほんとそうそうと、思うということばかり。互いをエンパワメントする場は、職員会議や研修ではなく、数少なくなってしまった飲み会やだけになっている。まずは、「みんなよく頑張ったよね」って、慈しみあいたいし、自分の成長を自分で認めあげられるような、そんな会議や研修にしたい。主任教諭という新しいポストが全国的にできるようだけれども、そういう垂直方向の序列ではなくて、水平方向に教員の良さが広がっていくことで、もっとみんな働きやすくなるんではないのかな、とも思ってします。
生徒同士が聞き合える関係をつくることや、SEL(社会的・情動的学習)の実践が大切な理由は、まさにここにあると思う。社会の土台を築くためのひとつの手法なんだよね。また、ワークショップ型の授業では、発表や共有の時間を大切にすることが重要だと思う。「あの発表、すごくよかったね」「そんな発想はなかった」「最高だね」といった言葉が生徒同士で自然に交わされ、そうした言葉が育まれていく環境ができたら素敵だなと思う。
他にも、たくさん引用したいところや、本にコメントを書き込んだところがあるけれども、ぜひ教育関係者は、本書を手に取ってほしいと思う。
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