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うま美かーさん
2019年12月21日 09:09
おばあちゃんは、私の好物をいくつも奪った。横取りして、食べたわけではない。与えすぎるのだ。幼い頃小食で、食にほとんど興味がなかった私が「甘エビが好き。」などと一言でも口にすると、次の日には、甘エビがドーーーーンっと、大皿で食卓に並ぶ。好物にも、限度というものがある。いくら好きでも、限界というものがある。食べ物だけでなく、オマケのついたお菓子もそうだ。買い物につい
2020年1月16日 05:18
おばあちゃんの夢見は当たる。代々呉服屋を営んでいた我が家は、3ヶ月に1回のペースで、展示会をしていた。展示会の前には、京都まで仕入れに行き、その度に大きな借入を作る。母は、京都からの帰りの列車に揺られながら「この仕入れ分が売れなかったらどうしよう。」と、いつも展示会前のプレッシャーで、胃が痛くなると言っていた。田舎の小さな呉服屋を家族で経営していたが実質、母が仕入れ、営
2020年1月4日 16:36
私とおばあちゃんは、時に衝突もした。原因は、いつも私が学校から帰って来ると、ダラダラと過ごしていて、それをみかねたおばあちゃんが「早く、勉強しちゃいなさい!」と言う。「早く、勉強しちゃいなさい!」は、ヤル気をなくす最強の言葉だ。私は、おばあちゃんに「あ〜ぁ。今、やろうと思っていたことろだったのに、おばあちゃんにそう言われたら、ヤル気がどこかに飛んでっちゃった。」と
2019年12月30日 22:29
おばあちゃんと一度だけ除夜の鐘をつきに行ったことがある。私が、中学3年生の受験生の時だ。除夜の鐘は、煩悩を取り払うためにつく大晦日から新年にかけての行事だが、『苦しい時の神頼み』『合格祈願』など、まさに煩悩丸出しの中学生だった。家の近くの寺院から、除夜の鐘の音が聞こえ始めると、私はおばあちゃんを急かせながら、家を飛び出した。「おばあちゃん、早く行かないと除夜の鐘、終わ
2019年12月25日 10:16
おばあちゃんには、社会性なるものが欠如していた。呉服屋の長女として生まれ、高校を出ると、東京の呉服屋さんへ『行儀見習い』に出たものの、呉服屋のご隠居さんご夫婦に可愛がられ、歌舞伎に食事にとお供させてもらい、そのまま結婚。社会に出ることなく、家庭に入った。そこで贅沢なるものを覚え、のちに家計の計算もできないため、大いに苦しむことになるのだが、、、。東京で暮らし、母がおばあ
2019年12月23日 10:07
私とおばあちゃんの部屋は、階段を登り、踊り場を挟んで、右と左だった。小学校の頃は、一人で寝ていて寂しくなるとお隣のおばあちゃんの部屋の襖を開け、おばあちゃんの布団に潜り込み、「足が冷たいから眠れない。」と言っては、おばあちゃんの足の間に、自分の足を挟んでもらい、安心して眠りにつく。中学になると、一応、試験勉強なるものもあり、自分の部屋で勉強机に向かうものの、テレビ番組
2019年12月22日 07:29
おばあちゃんは、小さきもの達に、本当に優しかった。幼い頃から私が病気で食欲が落ちると、おばあちゃんは一口もご飯が喉を通らなくなってしまう。おばあちゃんにやしなってもらい、一口私がご飯を食べると、ホッとした顔になり、その顔をみて、今度は頑張って私はご飯を食べる。私がご飯を食べ終わると、ようやくおばあちゃんは食事が喉を通るようになるからだ。おばあちゃんは、普段、少食ではない。