出勤は1人でするものという感覚
先日、出勤時間の東京の駅で表示された広告が話題になっていたらしい。
僕はこのニュースを聞いたとき、まず感じたことは、
「仕事がどうのこうの」というコピーに対してどう思うか?
ではない。
出勤時に、不特定多数の人間が、一つの「何か」を一斉に目にすることってないよな、
というある種新鮮な感覚だった。
そう、
マイカー通勤だと、
通勤時間は完全に1人の時間、1人の空間。
ラジオを聞きながら、
たまに街頭演説をしている政治家に目がいくくらい。
毎日毎日、信号機と、急な車線変更してくる車がいないかどうかを気にすることがほとんどで、
中吊り広告や駅構内の広告で、最近のニュースや、へえこういうの流行ってるんだという情報のインプットはない。
そう考えていくと、
一方的に外から入ってくる、
否が応でも目に飛び込んでくる情報っていいよなとうらやましい気持ちが強かった。
みんなで同じものを見て、「お!?」とか「おおおっ!」って感じるような一体感は、
ポジティブなものであってもネガティブなものであっても、
刺激として生活のなかにはある程度は必要なんじゃないかなって。
ただ、こういった強制的な情報をストレスと感じるのか、
なにもない生活を情報格差という劣等感と感じるのか、
ないものねだりなんだろうけど、
都会と田舎の一番明確なわかれ目のように思う。
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