様々な色が見える~10月前半の読書記録「カラフル」を読んで
応援している声優さんが朗読劇「カラフル」にご出演されるということを告知しておられた。
近くであれば会場に馳せ参じて見に行きたいのであるが、東京での開催のため、見に行くのはやっぱり無理そうである。
せめて原作の「カラフル」をいま一度読んで、彼が演じるキャラクターのことを考えたいと思ったので、早速図書館に行って借りてきた。
それにしても「カラフル」ってすごく懐かしい…小学校の時読んだな…けど、どんな話だったかさっぱり思い出せないな…ということで再読。
わたしの読書遍歴を紹介すると「読書が好きだ」と自覚したのは小学校3年生の時だったと思う。担任の先生がすすめてくれた那須正幹先生のズッコケ三人組シリーズにはまり、小学校の図書室に通うようになった。
当時、図書室で本を借りる時には「貸出カード」なるものがあり、本の裏表示の裏に紙製のポケットがつけられていて、そこに貸出カードが収納されていた。
貸出カードには、その本を借りた人のクラス、名前、貸出日、返却日が書かれていて、人気のある本は、その貸出カードにたくさんの生徒の名前が連ねられていた。
(ここまで書いておいて何だけど、平成生まれの方にこの仕組みが伝わるかしら…わたしもあまりはっきりとは思い出せないし、多分司書さんか図書委員の生徒が鉛筆で貸出カードを記入していたような気がするので誤りがあったらごめんなさい)
「カラフル」は、貸出カードにたくさんの級友の名があったことをすごく覚えている。つまり、みんなが読みたい!と思う人気の本だった。
カードに書かれている貸出先の名前を見て「隣のクラスのあの子も読んだんだ!」と嬉しくなったり「あの先輩も本読むんだ、意外」などと、同じ学校に通っているだけの間柄なのに、他人の秘密を知ってしまったような気持ちになった。
本を選ぶという行動は、その人の心の奥のもっと奥の、本人にしか見えない自分を無意識のうちに映しだす行為だな、とわたしは思っている(それが全てではないけど)。貸出カードの名前を眺めているとき、誰かが同じ本を手に取っているという事実だけで、その人と仲良くなれそうな気がしていた。
今となっては貸出カードなんていうものは絶滅しているだろうけど、なんというか、おおらかな子供時代をわたしは生きていた。
30年という時を経て再読した「カラフル」は、途中から涙が出てきてとまらなかった。
大きな罪を犯して死んだぼくの魂は、抽選に当たり、服薬自殺を図った中学生、小林真の体を借りて「ホームステイ」をし、天使・プラプラのガイドを受けながら再度下界に戻ることになる。自分の犯したあやまちの大きさを自覚するため、小林真(仮)として生活をするうちに、家族や周りの人の見え方が変わってきて、次第にぼくの魂は、本当の真に、この生活を返してやりたいと思うようになる。
正直に言うと、なぜ、今になってこんなに泣けてしまうのだろうと思った。
『これは私の挑戦の歴史であると同時に、挫折の歴史でもあるのよ。何をやっても私は不器用で、人より劣っている気がして仕方なく、すぐにまた新しい教室を探し始める。そんなことの繰り返しでした。』という真の母の手紙の中での独白とか。
『ひろか、きれいなものが好きなのに、すごい好きなのに、でもときどきこわしたくなる。ひろかの手でぐちゃぐちゃにこわしたくなる。おかしいの、ひろか、おかしいの。』という、あこがれの女の子の告白とか。
なんていうか…もうこの辺りの文章は、涙が止められない。
おそらくだけれど、初めてこの本を読んだ小学生の頃のわたしは、死にたいという気持ちのことがまだよくわからなかったのではないかと思うし、自分の人生を自分はうまくやれるだろうと信じていたのだと思う。
そのあと進んだ学校や勉強や部活で劣等感を感じてこの世から消えたくなったこととか、平等に与えられていると思っていた機会が実は全くもって平等でないと知ったときの絶望とか、自分の力では跳ね返せそうにない理不尽な物事とか、そういった明るくない色を、いま、結構な数、握っているのではないか、だからこんなにも涙が止まらないんじゃなかろうか、と思った。
じゃあ、その「明るくない色」とやらを手放したらいいんじゃないの?そうしたら、ずいぶんと楽なんじゃない?という問いかけが聞こえてきそうだが、それは多分、違うと思う。
「明るくない色」を持っているわたしこそが、多分、本来のわたしの姿なのだろうと思うし、今まで出会ってきた「明るくない色」を手放すという行動は、なんとなく、自分で自分自身をゆるやかに喪失させていくだけのような気がするから。
真は「前世でおかした自分の過ちを思い出す」ことによって、魂を本来の小林真に返すために思いをめぐらせ、ついに、自分の力で自分の犯した過ちに思い至り…というところで、この物語は幕を閉じる。
最後に、ガイド役の天使・プラプラはこう言って真を送り出す。
『帰ろうと思いながら一歩、足をふみだしてみな。それだけで君は君の世界に戻れる。あばよ、小林真、しぶとく生きろ』
残念ながら、現実世界にガイド役のプラプラは存在しない。わたしは新しい一歩を踏み出すことにすごく慎重だし、新しい人間関係を構築するのも怖いと感じるタイプ。だから、自分で自分に「しぶとく生きろ」と声をかけながら、なんとかかんとかやっていくしかないと思う。そんな時、手元のパレットに広がっている明るくない色たちを眺めながら「過去にもいろいろあったけど乗り越えてきたから大丈夫、たまには休みながら、しぶとく生きろ」と繰り返し自分に伝えていくしかないのだろうな…と思っている。
(追記)
物語の後半に「早乙女くん」という、主人公にとって初めての友人が登場する。
この早乙女くん、他人に対して思いやりがあって、感受性が豊かで、本当になんというか、個人的にすごく愛おしいキャラクター。早乙女くんが真と教室で交わす、長い長いセリフが、人と関わることへの戸惑いに実感を伴っていて、彼がすごく優しい人間なんだな…と、ここを読んでいるときも涙が溢れていた。
冒頭に書いた応援している声優さんが演じる役がこの早乙女くんなのだそうです。あの声にこのセリフが乗るのか…と思うと、なんていうか感極まってきてまた泣いてしまいそう。配信チケット(もしあったら)買うしかないかなぁ。
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