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「ふつう」って何?花、という題材でも画家によって描き方は十人十色。多様性を考える。
中学生の頃から、「ふつう」という言葉がきらいでした。
親や友達から「普通こうでしょ?」と言われるたびに、「それってあなたの『ふつう』だよね?」と心の中で突っ込んでいたのです(もちろん、実際に口に出すことはありませんでしたが)。
そんな私が最近、角川武蔵野ミュージアムで『モネ イマーシブ・ジャーニー 僕が見た光』という体感型デジタルアート劇場を鑑賞したことをきっかけに、「ふつう」について改めて考えさせられる機会がありました。
ちなみに、体感型デジタルアートとは、アート作品を壁や床360度に映し出し、音楽とともに全身で作品を感じるアート体験です。モネが描きたかった光そのものを最新技術で再現したその空間は、美術鑑賞という枠を超え、心を癒す時間でもありました。2025年1月19日までとのことなので興味がある方はぜひ、おすすめです。
⚫︎「ふつう」について疑問を抱いた中学時代に出会った点描画、ポール・シニャック《マルセイユ港の入口》
美術館に行き、感想を提出するという学校の課題のため行ったのですが、この点描画に心惹かれました。
港と船を描いた作品なのですが、夕焼けなのか、朝焼けなのか柔らかな光の様子が無数の小さな点で表現されており、
「景色がこんな風に見えて、こうやって表現する人がいるのか。私が見ている景色は、他の人には違って見えているのかもしれない…!!」
と衝撃を受けたのを覚えています。
⚫︎同じ「花」でも全く異なって描く画家達。それぞれにとっての「ふつう」を見える化してくれている
たとえば、同じ「花」をモチーフにした作品でも、
グスタフ・クリムト《農家の庭》1862-1918年
エドガー・ドガ《花のある花瓶に寄りかかる婦人(菊と女)》1865年
フィンセント・ファン・ゴッホの《ひまわり》1888-1889年
クロード・モネの《睡蓮》1897年-
東山魁夷が描いた桜《花明り》1968年
草間彌生の巨大オブジェ《幻の華》2002年
それぞれ全く違う「ふつう」の花を描いています。
疾患を公表したり、推察されているアーティストも多く、モネは白内障、ドガは網膜疾患、草間彌生は統合失調症を抱えています。
白内障や網膜疾患でボヤけたり、眩しい世界。精神疾患で幻が見える世界。
疾患がある中で見える世界を、美術作品で可視化してくれてているアーティストの方々は、とても貴重ですし、有難いな、と思います。
そして、医学的疾患の有無に関わらず、見えている世界は人それぞれ、ということを強く感じます。
⚫︎世界はきっと色んな「ふつう」が混じっている。それぞれの「ふつう」を持ち寄り、新しい「ふつう」が生まれる
「ふつう」とは人それぞれ異なるものです。同じ景色を見ていても、その感じ方や捉え方は十人十色。それでも、私たちは自分にとって「ふつう」だから、他の人にそれを説明しなかったり、他者の「ふつう」を理解するのが難しいと感じたりします。
私が理想とする”カオスな空間”は、男女・年齢・職業・価値観が全く異なる人たちがそれぞれの「ふつう」を持ち寄り、新しいアイデアを生み出す場です。
自分と他人の「ふつう」が違うことを、「あの人は自分と違うから、嫌だ」と拒絶するのではなく、アート作品のように
「こんな感じ方があるのか、すてきだな」
「私とは違う考えだけど、面白いな」
と受け入れたいですし、そんな風に多様性が尊重される世の中が広がっていけば素敵だな、と思います。