「ここは学校」と「ここは家庭」と境界線を引いていないか
7/21(水)に【Co-edu Cafe(コエデュカフェ) vol.11】を行いました。トークテーマは「学校教育と家庭教育について」。今回は小学校の先生7名、保育士の方1名、企業勤めのパパさん3名のご参加でした。お子さんがいつもよりも家にいる時間が長くなる夏休みを前に「家庭教育に期待すること」を中心に活発な意見交換が行われました。
■子どもと会話してほしい
「家庭教育に期待することはなんですか?」という質問に対して、若い先生が答えてくれました。「子どもの宿題を見てあげてほしいのもありますが」と前置きしつつ、
「子どもとたくさん会話してほしい」
ということでした。宿題よりもたくさんの会話を家庭に求める背景を尋ねるとその先生が過去3年間、特別支援の子どもたちを中心に見てきて経験がそこにはありました。子どもが家庭で十分に親と会話をしていない、親と子の関係性ができていないことが問題行動を引き起こしているのだそうです。だから親には子どもの話を聞いてあげてほしい、そして困ったことがあったら一緒に考えていきたいので学校に伝えてほしいとおっしゃっていました。
■「子どもに『任せる』」が「放任」になっていないか
人数が多かったので3つのブレイクアウトルームに別れて意見交換をした際、習い事教室に携わっている方からは「保護者の『子どもに決めさせます』という言葉が気になっている」というお話をいただきました。以前、「子どもが行きたくないって言っているんで習い事をやめます」と申し出た保護者がいらしゃったそうです。この方はもっとその子をフォローできなかったかと自問するのと同時に「やると決めたことをやり切るように声をかける、フォローすることも親の役目ではないのか」という思いをもたれたそうです。その子は小学生だということなのでまだ10年ほどしか生きていません。もちろん子どもの気持ちを優先することも必要ですが、親が子どもと一緒に一度やめたいと思った気持ちを乗り越えることでその子はこの10年ほどの人生の中では見たことのない景色を見ることができるのではないかという考えを私たちに伝えてくれました。
「子どもに『任せる』」とは聞こえはいいですが、それが「放任」になっていないか、
常にふり返ることが必要な気がしました。
■境界線なんてない
今回、先生方、保育士の方、パパさんのお話を伺っていて、「ここは学校教育で身につけるもの」「ここは家庭教育で身につけるもの」と線引きすることはナンセンスであると感じました。計算ができる、漢字が書けるなどの能力だけでなく、子どもたちが自分からあいさつする姿勢や子どもたちの粘り強く取り組む態度なども育成していくには学校と家庭がそれぞれに補完し合いながら、手を取り合って子どもたちを見ていくことがこれから求められるのではないでしょうか。
今回を機に「先生トークライブ」から「Co-edu Cafe(コエデュカフェ)」に名称を変更し、より一層先生と保護者が教育について気軽に意見交換できる場をこれからも提供していきたいと思います。
参加いただいた皆様、夜遅くまでありがとうございました。
次回の参加もお待ちしております!