ギリシャ・ローマ哲学のまとめ
どうも!みなさん、こんばんにちわはようす。丸々です!!(*ゝω・)ノ。:+* ゚才 ノヽ ゙ノ゚ *+:。
さっぁ、今日もやって参りました〜〜〜ੈ✩‧₊˚₍ᐢ⸝⸝› ̫ ‹⸝⸝ᐢ₎
『「黄金の法」感想講義』に入ります!!📙
前回までは、古代ギリシアの哲学やらローマの時代の哲学まで、歴史上の教科書には登場しなかった偉人さんの格言のような印象を与えるテーマで、さまざまな歴史上の哲学者の功績を述べれたと思います。
こんな感じで、いろんなジャンルの哲学者を片っ端から、基本的なところの部分だけを頼りに、隅から隅まで解説しました。
これも、この『「黄金の法」テキスト』の書籍があったことと、学生のころにこのテキストを使って先生から教わったことが今や「知恵」となって現れていると僕は信じています!٩(๑> ₃ <)۶♥
さて、このテキストでは第2章[ギリシャ・ローマに学ぶ「哲学の本質」]です!その内容のまとめに入りたいと思います。
それでは、行きましょう‼️🏃♂️🏃♀️( ´ ▽ ` )ノ
ギリシャ・ローマ哲学の流れのなかから学ぶことは
👉 以上、ソクラテスに始まるギリシャ、ローマの思想を概観してきた。
ソクラテスの思想「ただ生きるのではなく、善く生きよ」や、プラトンの「イデア論」「魂への配慮」等の思想に見られるように、「ギリシャ哲学の本質とは、やはり、『真理』にある」(『黄金の法』p.84 )のである。そして彼らの思想の高みがあったからこそ、後世、数多くの思想家たちがギリシャの哲学者たちに憧れ、真理探究のために情熱的に身命を賭してきたのであった。
ここから私たちが学び、真理探究の情熱を己のうちに灯すには、まずソクラテスの説く「無知の知」、現代的にいうならば、「本当に分かったと自己確認するまで納得しない」という「知的誠実さ」を持つことだ。👈
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ソクラテスに、私たちが学ぶものはいったい何であるかというと、まず、この真なるものへの限りなき情熱です。真なるものへの限りなき情熱を学びとるべきだと思います。そして、実際に「わかった。」と自己確認できるまでは納得しない態度です。ここが現在でも私たちが学びうるところなのではないかと思います。
(『HS原論②』p.94 )
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この「ただ生きるのではなく、善く生きよ」は、人生をより良い人生にして成功していくためには外せない言葉であることを、身にしみて実感できます!
さて、古代ギリシア哲学の創始者にあたるご存在は「ソクラテス」でありまして、HSの方々は「青色のリーダー」と呼んでおります。
「黄色のリーダー」(教え,法の色)は仏教の開祖の釈尊。「白色のリーダー」(救い,愛の色)はキリスト教のイエス・キリスト様。「赤色のリーダー」(法戦,正義色)はユダヤ教のモーセ。「紫色のリーダー」(礼節,秩序色)は儒教の開祖の孔子。「青色のリーダー」(思考,理性色)は古代ギリシアのソクラテス。「緑色のリーダー」(調和,自然色)は老荘思想のほうの老子。「銀色のリーダー」(進歩,科学色)は近代科学に革命をもたらしたニュートン。
これら「一つ一つの色は、すべて人間の個性を表している」と考えられており、「色彩学」の分野をよく研究するとその実態がよく分かります❗️
疑うなら、実証するまでやってみましょう!!それが真実ですから。
話は脱線しましたが、要するに、ソクラテスからくる哲学は、一見、宗教性がないように見えて、実際はあるので有り、それは「神様を信じ、その声を聞いて、人々に神が説く真理とは何かを分かりやすく伝えた」というところにあるのであります!
ソクラテスが当時いなかったら、この地球の科学技術も社会も存在しなかったと言っても過言ではありません!
また、古代ギリシア哲学では、世界宗教学的に考えますと、「真・善・美」を説いたというところからくるのであり、この三段論法のような段階を崩しますと、論理が破綻されて、悪がはびこるような哲学になってしまうので、人生の良し悪しが分からなくなってしまうという意味では、「真・善・美」の3つの段階を踏むことが人間の人生の幸福になっていくのではないかと考えられるからであります!!
👉 哲学の始まりがそうであったように、「哲学」とは決して学校の中だけのもの、書物の中だけのものではない。人生のさまざまな場面において、「自分自身の本質、人間の本質」を知らんとし、また「この社会、そして宇宙が創られた意味」を学ばんとする弛まない(tayu-)営みそのものなのである。👈
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そもそも哲学というものは、何のためにあるのか、この語源そのものは、もちろんギリシャの時代にさかのぼります。そして、そのフィロソフィーといわれる言葉、そのものに由来します。
哲学者たちは「フィロソファー(智慧を愛する者)」というふうに呼ばれていました。知を愛する者と言ってもよいでしょう。こうした者が哲学者でありました。目には見えない知なる実体を求めて、あてどなくさまよっている、そういう人の群れのことを哲学者と呼んだわけであります。この目には見えぬ実体、知という実体、智慧というもの、真実の智慧というもの、これが何であるかを見極めようとして、努力し、努力し、営為を重ねてきた人たちのことを哲学者というのです。
さすれば、現代の哲学者とは、大学の教壇に立って、教鞭(kyouben)をとっている人のことをいうのではないのです。現代の哲学者とは、あらゆる仕事のなかにおいて、環境のなかにおいて、人間の生きる意味を考え、そして考え続け、自分なりのものをつかみとり、それを人に教えるに至った者のことを哲学者といってよいのであります。
HSのみなさんとしていることも、これは別の意味においては、数多くの哲学者を輩出せんとしているわけであります。
(『神理学要論』pp.68-70 )
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「哲学」(philosophy,フィロソフィー)の語源は、「愛」(philo,フィロ)と「智」(sophy,ソフィー)から来ていると世間では教わっております。これは、ピタゴラスが「知を愛する、愛は知である」から来ていると考えられます。
ただ、「愛」「知」の2つの概念だけでなく、「反省」や「発展」の教えがあってこそ「人間は幸福になることができる!」ということを覚えておいてほしいところなのであります!
仏教の釈尊は「知と反省」を説き、イエスやムハンマドを指導したヘルメスは「愛と発展」を説いて、この2つは戦争もせず対立はするのですが、この2つの宗教を融合した「宗教」こそが、実は「哲学」を超えている筋であると考えられるからであります!
さて、お笑い芸人の爆笑問題の太田さんも、ニュースで自殺する芸能人がコロナ時期において、「人生苦しくなったら、哲学を学べ」とおっしゃっておりましたが、ここには「偏見」が入っていることをみなさんお気づきでしょうか?
それは、「共産主義」を捨てた「自由主義」とはいいつつも、「神様を信じていない」というところに原因があります。
「現代哲学」は、「神の教え」にあたる骨が1本通ってない学問になっており、漢字が難解で読解力が難ければそれで良いという風潮が、人間の心の寿命を縮めて、この世の利便性は科学で伸ばすことができても、現代宗教的に見れば人間がこの世に生活できなくさせている印象を受けます。
それを助けている、救っている存在こそ、「HSの思想」であるのです!!
これは洗脳ではありません。そう疑う心に先入観があるのであって、自分の足元を神の光によって照らせば全てが分かるのであります!
ゆえに、人生生きづらいと思っている方々において、ちゃんとHSが出している「経典」を、好きなジャンルで良いから、買って読んで欲しいと願っているのです!!
そして、なるべく、鬼滅に流れずエル・カンターレ信仰の方に流れていくスタンスが、今の時代において重要だと鑑みられるのであります!
👉 哲学や思想の真の使命は、単に人を頭でっかちの”物知り博士”にすることではない。その「考える力」「知の力」でもって、人生を切り拓く勇気の原理とし、また正義とは何かを判断するときの基準(ポリシー)を立てることにある。👈
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哲学の使命は、このように、自分が徹底的に考えて、そしてつかみ取ったところの、この真実に対して忠実に生きるということなのです。ごまかしに生きてはいけない。真実に対して忠実に生きるというのが、哲学の使命であります。
何をとるかに際して、自らがそうした心のなかの作業において、真実なるものをつかみ出したならば、これに忠実に生きるということが、これが哲学者の本務、すなわち知者として生きんとする者の本務であります。本分であります。これに忠実に生きていくことです。その代わり、この決断をとって行動していく際に、自分にいかなる環境が現れようとも、それに対しては責任を持って対処していくということ、これが大事です。
(『神理学要論』pp.100-101 )
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👉 「人は、知っていることは失敗しない」(『幸福の法』)といわれる。その意味で、過去の思想家たちの考えを知れば、さまざまな人類社会の問題を解決するためのヒントを得ることができる。その意味で、知識を持っていることは大きな勇気の原理になる。また学ぶ姿勢、真理を探究する精進力そのものが、人生を変え、社会を変える原動力となる。吉田松蔭(yoshida-shouin)をはじめ、維新の志士たちは寸暇(sunka)を惜しんで勉強していた。その勉強の中身そのものが伝えられることはなくとも、学問をする姿勢というものが勇気になり、その学問の中身一つひとつが世を変える力となったのである。
ギリシャの哲学、ローマの哲学を知ることが、私たちが本当に「永遠なるものの影」をつかみ、真理を殉じる(jun-)姿勢を確立する一筋となるだろう。👈
自論ですが、「自己肯定感」について言いたいことがございます。
それは、自分の強みを肯定することも大事でありますが、何よりも大切なことはコレです。
それは、自分の好きな分野やジャンルに対して、模索して、それを相手に伝えて承認されたときの「自己表現」こそ、自分の感情が動く根拠であるということ。
それは、自己肯定感を高めるもう一つの側面であると考えます。
さて、それを勉強するために、そして社会での仕事や人間関係で使うために必要な学問こそ「哲学」であります。
そのためには、自分の考えに考えを「独断と偏見」に基づいて深めることも大切ではありますが、その前提として「過去の思想家が何を考え、どう行動したのか」、その、「偉人伝記」に当たるところから学習する必要があるとHSで教わっているからです。
そこで、「ユートピア思想家」である「フランシス・ベーコン」が出てきて、「知識とは力である」という教えを残します。
その経緯については、次回【ユートピア思想 前編】にて解説しましょう!!
このブログの結論と致しましては、「ギリシャ・ローマ哲学=宗教」なのであり、古代ギリシア哲学はすなわち世界宗教の一部であり、そして「世界宗教」とは歴史上の偉人たちの上にいる「リーダー的存在である神様」が人々の人生をより良い方向に選びとるために宗教運動が起きたということであります!(*゚ェ゚*)ぉ♪
そして、哲学者たちが宗教家を名乗らない理由は、「宗教」と言っても人々が受け入れてくれなかったから、わざと宗教と名乗らないで「哲学」を名乗ったというところにあります。それも人生で迷う人々が自殺やいじめやリストラや孤独死に陥らないための防波堤であり、心の健康を促進するために説いた方々こそ「哲学者」なのです。オォォー!!w(*゚ロ゚*)w
ですから、「哲学者の教え」は「世界宗教を興した神々の教え」を学ぶことと同じく価値があるものであり、興味がなくても一生涯勉強しなければならない徳目なのではないかと思います。(ノ)´∀`(ヾ)おぉ♪
それは、ギリシャ哲学的にいうと「人生を幸せに生きるなら、真理を学べ」ということであり、ローマ哲学的にいうと「欲望を捨てて、心を平静にし、学問を学ぶことで、魂が自由になり、人生に勝利する」ということであり、神秘思想的にいうと「神と人間がいて、真理を神から人間へ与えている」であり、そこには時間論も存在論も両方共存しあって今があるということですね♬
まだまだ、分かってないところもございますが、テキストや記事を振り返ると、これが今までの結論に当たると思います。
っということで、、。。(∩・∀・)∩オォ!
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=͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ=͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔお楽しみに=͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ=͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ
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いかがでしたでしょうか??(*´ω`)ノ またネ♪
ご精読ありがとうございますァリガトゥ(*'∀'*)ゝ
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なお、「『黄金の法』myブログ感想講義」の今回の内容につきましては、以下を参考文献としています📙
【参考文献】