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君は世界を変える提案ができたか

私がGoogleのFP&AでSales Financeの仕事をしていた時に、繰り返し求められた資質が「ソート・リーダーシップ」だった。

「ソート・リーダーシップ」は、職位関係なく、FP&Aのパフォーマンス・レビューの評価基準の一つだったが、ソートとはThought、すなわち、考え・理念・着想のこと。そのリーダーシップというのは、つまり、組織の課題について(例えば、Sales Financeのミッションなら売上収益アップ)未来を先取りした解決策や素晴らしいアイデアを示し、周囲の共感を得て行動変容を引き起こす資質である。

良いアイディア思いつくだけじゃダメ。示すだけじゃダメ。周囲に伝えて、それイイネが集まって、組織の行動が変わるところまでいってはじめてそれと認められるものだ。自分の考えをみんなのものにする力。

いつもセルフ・レビューのたびに、この項目で頭を抱えた。「君は世界を変える提案ができたか」という問いなのだ。ローカル( *グローバルFP&Aは数百人だけど、リージョン=APACでは約20人、私はそのなかのローカル=国の担当者だった。ファイナンスなんて、基本は各国の方向をグローバルにあわせるためのポジションなんである)はそもそも不利だよと文句も言いたくなったが、同僚たち(みんな精鋭だった)の中には、ローカル発信でリージョンやグローバルの売り上げを上げるようないいアイディアを出した人も、多くはないけど実際に出現するので、言い訳はできない。毎回、自分のふがいなさを感じる項目だった。

それに関連して、最近世の中が疫病に対しててんやわんやしているなかで、凄いなあと思うのが、就任時から気になっていた台湾のデジタル担当政務委員(デジタル大臣)である唐鳳(オードリー・タン)氏、38歳。

誰も分からない未来に対する予測に基づき、大胆な判断をして迅速に行動を変えるソート・リーダーシップの人という感じ。モットーはラディカル・トランスペアレンシー(徹底的な透明性)だって。

台湾が極端なロックダウンをすることなく、子供たちも学校に通わせながら、いち早く疫病の封じ込めに成功しつつあるのは、彼ら(オードリー氏だけではない)優秀なリーダーのおかげなのです。

かたや、罹患者1万人を超えてようやく全国に緊急事態宣言をした我が国。この期に及んでなお「遅くはない」と言うリーダー屋さんたちは、後になって検査の少なさに起するここまでの数字をもちだして「対策は成功していた」とか言えると思っているのかしら。タイムラグなのに。現時点、日々の死者数は増加傾向にあり、政策としての封じ込めはだらしなく壊れつつある。この先うまく収束したとしても、それは、断じて、政治家がいい仕事をしたからではない。

余談ながら、日本のIT相って何歳か知っている?…79歳よ。老いても凄い人はいるので年齢が問題ではないけれど、なにかにつけ実務のできない人を上に置くことの残念さを感じてしまう。

数週間前、私の、この手の国と政治とマスコミに対する絶望的な怒りはピークに達した。そのあとしばらく無力感から何も言えない気分になった。でも今の時代は、SNSを追っていると、色々な国のリーダーの事葉を、誰かが即時に日本語に翻訳したものがどんどんシェアされるんだよね。そういう素晴らしいメッセージを読んでいたら心が癒された。もちろんくだらないデマとかカオスなニュースも溢れかえっているので、本当に「誰が」発信しているかというのが大事な時代だと思う。テクノロジーは諸刃の剣。

とにかく、人間が無駄にすり減らないようになる理由って「脅威そのものの質が変わったから」というのではなく「その脅威に対してできること・できないことの見極めがある程度ついたから(慣れたから、ともいう)」なんだなということを、身をもって感じている。

この先もし自分や身近な人が罹患してしまっちゃったりしたら、またそれどころではないだろうけれども、とりあえず、この先の世界はどうなるんだろうと思いを馳せる余裕が出てきた。

未来のことは分からない。今、みんな、給付金がどうとかって騒いでいるけど(それが死活問題な人は当然騒がねばならないけれど)、この先、お金の意味自体がなくなるかもしれない時代に、どうしたら私たちは幸せに生きて行けるんだろう?

私は、ソート・リーダーシップを発揮するタイプではない。もしかしたらこの先何か奇跡的なことがあって凄いこと思いついちゃって出来ちゃったりとかするのかもしれないけど、そのタイトルの重さは、GoogleのFP&Aに身を置いた4年間に痛いほどに感じた。

でも、そういう人を見つけたら、その人の行いを助けられる人にはなりたいかな。それから身近な人たちに「まきといたら楽しいな、一緒にもっと何かをしたいな」と思われる存在でありたい。

野菜も作れない、魚もさばけない、素敵な歌も歌えないわたしが、世紀末的未来に何ができるかを、今日も考えながら生きていこう。

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