じいじいはどこにいるのか
週末から、岡山の実家に戻っていました。岡山というと去る豪雨の影響を心配してくださる声をいくつかいただきました(感謝です)が、幸いわたしの親族一同は無事でした。
祖父の13回忌でした。親族のみの集まりとはいえ、亡くなったあとに孫3人(わたし含む)が立て続けに結婚して、ヨーヨーを筆頭に曾孫が2人づつ、合計6人増えたので、にぎやかな法用となりました。
こういう時くらいしかしないけれど、実はわたしは「はらそうぎゃあてい、ぼじそわか~」と般若心経を唱和する時間が、瞑想っぽくて割と好き(というのも変だけど、好き)です。
読経の後の自然な会話の流れで、お坊さんが明治維新後の廃仏毀釈の裏話をしてくださったのも、本来ならじっくり聞いていたかったところ。
しかし、ヨーヨーはじっとしていられないし、あーちゃんは読経を真似て?大声で唸るし、お焼香さえあたふた。そしてもう、猛々しいレベルのお天気・酷暑に、幼児連れでお墓参りに行くのは、パスしてしまいました。。。
12年前の葬儀の日も油蝉が鳴いていて暑かった記憶があるけれど、あの日より、確実に5度は気温が高いんだもの。
「小さなお子さんの騒ぐ声もご供養になりますから」とお坊様はおっしゃってくださいましたが、お墓参りに続く仕出しの食事会のあと、庭にブルーシートで日陰をつくって、ビニールプールを設置してもらって、スイカ割りまでお膳立てしてもらって、3~4歳の小さい人たちは大騒ぎで盛夏を堪能していました。
仏壇のお鈴をチーンして手を合わせることを教えたら、ヨーヨーに「じいじいは、どこにいるの?」と聞かれました。
仏壇の中というわけでもないし、床間の掛け軸の仏様の絵でもないし、お墓に格納されているのは骨だけだし。と考えて、わたしは、とっさに「このへん」と、空気の中で曖昧に手を振ってしまいました。
こんなふわっとしたかんじの積み重ねで、日本人の八百万イメージは養なわれていくのかもしれません。