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私に出来ることをやる

どうも、ウクモリ ヒロオです。

東日本大震災から13年が経過した今日。例年通り、会社の朝礼で当時を振り返りながら、災害発生時に何をすればよいのかを伝えました。東京で働く以上は、地震による影響は避けることが出来ません。だからこそ、当時起こったことを伝え続けることが大切だと思っています。

振り返れば、あの当時は自身の無力さを痛感していた時期でもあります。周りの活動的な経営者は被災地を訪れたり、独自の支援をしたり・・・様々な活動を展開していたことを思い出します。その一方で、私が出来たことは本当に限られていました。

あれから13年経ちました。3月11日を迎えるたびに、あの時に何をすればよかったのか振り返ります。震災が発生する3カ月前に経営者となった私だからこそ、感じることが多いのかもしれません。そして、そんな私でも歳を重ねるごとに考え方が少しずつ変わってきているのは、経営者として何が大切なのか、日々の学びの中から感じ取っているからです。

それらの学びが活かされたのが、コロナ禍だったように感じています。あの時の軸は、事業の継続一点に絞られていました。事業が継続しなければ、社員を幸せにすることが出来ない・・・そう考えたため、社員の健康配慮や、働き方の見直しなど、さまざまな課題に対して、多くの決断を下しました。あれだけイレギュラーなことが起こり続けた状況下でも、事業が継続出来たのは、明らかに経営者就任直後に感じた私自身の課題を、社員と一緒に少しずつ改善してきていたからです。

だからこそ、元旦に発生した能登の災害についても、被災された方々に対する想いを忘れることなく、ただし冷静に対応することが出来ました。先述の通り、東日本大震災の際に一番心残りだったのは被災地の方々に対し、現地に向かうことさえせず、何も出来なかったことです。ただ、経営者となって経験を重ねることにより、この考えは必ずしも正しい訳ではないと悟りました。

私に出来ることをやる

今回の能登での震災時、私は間髪入れずに募金をしました。私がその時点で出来ることを考え、まずはすぐに行動しました。そしてその後も、適時募金をしています。経営者だからこそ、自社の事業継続という軸はブラさずに、今の私に出来ることもやる。結果的にはこれで良いのだと考えています。

スタートアップ支援や、他の企業の新需要創出などといった新たな取り組みが始まっている私としては、結果的にこういった活動を継続することによって、社会貢献につながっていることを肌で感じています。最終的には日本のモノづくり分野における発展に寄与出来る取り組みなので、こちらを優先した方が良いかなと考えるに至りました。

東日本大震災の影響で非難を続けている方は、まだ2万9千人もいらっしゃるそうです。そういった方々や能登を含む、震災などで苦労されている方々の1日も早い復旧を願いつつ、そして犠牲になられた多くの方々のご冥福を祈りつつ、今日1日を過ごしました。

トップ画像は、先日上野公園で撮影したカワセミさんですが、こういった写真を撮影出来ること自体、とても有難いことなんだな・・・そんなことを特に感じた1日になりました。

こんなことを語りつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!


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