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23歳女、立ちションを通して男性器を考える。

大学の卒業論文で「女性器の現代美術史」を研究した。

もとよりフェミニズムに関心があり、フェミニズム・アートに女性器がモチーフとして頻出することがきっかけだった。

卒業研究・制作展を通して多くの方にリアクションをもらった。
その中で匿名で残されたメッセージが印象的だった。

ちんこはずるいらしい。

展示が終わってもそのメッセージが離れなかった。
「私は女性、だから女性器の研究をした」で終わりたくない思いがあった。

そんなある日、「ああ、立ちションだな」と思った。
立ちションをしたら、男性器を体験しえるかもしれない。
一生自分が持ち得ない「それ」に真剣に向き合うことで、友達や恋人、ひいては自分自身がわかるかもしれないと思った。

以下は私が、ごく普通の日常を過ごす裏でめちゃめちゃ立ちションしてる日記です。日記なので立ちション以外の情報が多いけど無視してください。


1日目

初めて立ちションに挑戦した。
失敗するだろうと思ったので一人暮らしの自宅で、タオルを置いての挑戦になった。

よしするぞ、というところでなかなか出てこない。立ったままの身体に、脳が「まだおしっこの準備ができてない」と錯覚しているようだった。
そこで「おしっこするぞ〜」と声にだし、自分の身体に立ちションをインストールしようと試みる。

やっとのことで放尿した。
なんせちんこの部分がないから、おしっこの向きを調整することができない。私のおしっこは綺麗な直線を描いて便座に直撃した。
位置を調整し、便器を跨いで垂直落下させる形に落ち着いた。

だしきった。
びちゃびちゃの便座を掃除しながら、1回目の反省をする。
おしっこの軌道がやや左によっていた。この間美容院で「左側の髪の毛だけがうねっている」と言われたけどなんか関係あるのかな。ないか。


2日目

画廊でアルバイトをしている。
展示作家は大学在学中の美大生も多い。自分より年下の子がその才能(って言うのも雑で失礼だと思う)を見込まれて、作品を売り上げているのをみると複雑な気持ちでもある。

小さい頃は画家になりたいと思ってた。途中で自分に才能がないことに気づいて、それでもアートに関わっていたくて、芸術学を専攻した。
だからこそ、画家として頑張っている同世代に対して全力で応援したい気持ちと、失礼だけど、羨ましいという気持ちもあった。

売れる作品は人々に愛される作品だった。
一方で、私がつくりたい作品っていうのは大体ポルノを主題とした、人々から敬遠されることが目的の、馬鹿馬鹿しいものだった。
どちらもアートになり得るけど、その差を感じる度に内心強い嫉妬もあった。

こうして立ちションすることは小さな抵抗なのかもしれない。

最近気づけたことだけど、私のおしっこは緑色っぽい。
皮膚科でもらったビタミン剤の影響らしい。
体内に流れてるものの色じゃなくて面白い。

半透明の液体が綺麗な直線を描く様がライトセーバーぽくていい。
フォースと共にあらんことを。

ブゥンッ


3日目

昨日、人生で初めてセックスをした。
拍子抜けするくらいすぐ入った。

実を言うと、いろんな人とセックスを試みたことはあった。
けどその度に全く入らなくて、変な空気になって振られていた。

すんなり入っていたら得られた愛情があったかもしれなくて、
申し訳なくて情けなくて、でも愛されたくて、しんどかった。

そういう経験も、私が男性器について考えたいと思うきっかけだったのかもしれない。

結局、相手を満足させることができなくて申し訳なくて泣いてしまった。
彼は笑って私を抱きしめて、私の好きなブルーハーツの「情熱の薔薇」を歌ってくれた。酔っ払ってたと思う。その優しさは嬉しかったけど、次はもう会わないんだろうなと思った。
私も一緒に歌ってみたけど、頭の中ではなぜか「終わらない歌」の方が流れていた。

帰ってすぐ立ちションした。
彼は私が「面白い人」だから話しかけてくれたらしい。
私の必死こいた立ちション姿も「面白い」かな。


4日目

大学入った時はおしゃれな作品が大嫌いだった。
特にコンセプトもない、ただ見てくれのいいだけの作品に「アート」と名乗ってほしくなかった。

今、画廊で働いて「売れる作品」と対峙している。

需要と供給を理解している作品。
やっぱり最初はその魅力を理解することはできなかった。
けど、その作品を作る人・買う人と向き合う中でわかった。
「アートで生きていきたい、そのために売れる作品を探求する」というのもアートに対する愛情なんだと思う。

自分の未熟さが恥ずかしい。
自分なんて売ってすらないのに、アートの何を語れるっていうんだ。

立ちションしようとしたけど、全然おしっこが出なかった。
「おしっこするぞ」と声をかけたけど全然応答がなかった。

それからしばらく下半身を露出しながら、ぼーっと立ち続けていた。
立ちションごときで面白いと思ってる自分は痛々しい。

5日目

初セックスをした彼と会った。
生理だと正直に言ったけど、落ち込んだ様子がなくて安心した。

お金がなさそうだったので私の家に泊めた。
寝てる時に、フェラしてほしいと言われたので「したことないけど」と保険をかけつつ挑戦してみた。

意外と柔らかくて弱々しくて、思いっきり噛みちぎったら死んじゃうんじゃないかって感じがした。
途中、彼が私の後頭部を押して喉奥まで入りそうですごく怖かった。

結局満足させることはできなかった。
なんで会ってくれるのかわからないし、私もなんで会ってるのかわからなかった。不安だった。彼は笑ってキスしてくれた。

彼が帰った後、彼のちんこを思いだしつつ立ちションした。
あの細長さがリボルバーみたいで、立ちションしやすい設計だと思った。


リボルバー

6日目

まんこに対してちんこには愛称がたくさんあると思う。「お」つけたり「ぽ」つけたり。

単に「男性器に比べて女性器に対する関心が低いから」なのかもしれない。
ただ立ちションを通して感じたことは、目に見える・手に持てることの重要さだ。

女性器は自分で見ることができないし、触れることはできても握ることはできない。不思議な形のそれが情けなくぶらんぶらん下がっている様子に、みんな名前をつけたくなるのかもしれない。 

立ちションしながら、そこにない、透明のちんこに思いを馳せる。
何だか怖いものに思ってたけど、意外と可愛い奴らなのかもしれない。

7日目

初セックスをした人に「付き合いたいと思ったことはない」と言われた。
何だかポッカリ穴が空いた心地だった。彼は誠心誠意謝ってくれた。

好きだったかと言われたらわからない。
寂しいのは甘える相手がいなくなったからだと思う。
都合よく使って、謝るべきなのはこっちの方だ。

私のズレてる部分を「面白い」と言ってくれる男の子は今までにもたくさんいた。
そこから付き合うこともあったけど、結局みんな可愛い子に鞍替えしていった。

みんなどこかで「変わった子」として一枚壁を設けて、外側から見ている感じがしていた。
話していても同じ目線じゃなくて、「変わった子と付き合ってる俺」に酔ってる感がヒリヒリ感じられた。

彼にもその節があった。
面白がれていることくらいわかってた。それなのに、今度こそ私の理解者になってくれるかもしれないと思った。

結局、お互いがお互いでオナニーしていたんだと思う。
相手は女の子と酒飲んで話すのを楽しんでたと思うし、私も相手に自分の理解者になってくれることを望んでた。

みんなでオナニーしたらセックスなんてしなくていいのに。
誰かと一緒に幸せになりたいなんて、おぞましい願いだと思う。


こんな夜は、立ちションくらいしかやることがない。クソみたいな人生だな。

ふと思う。
男の人はみんな立ちションしたことがあるのか。
こんな風に立ったまま、ちょっと腰を突き出しておしっこして、
時折手についたり便座を汚したりする。

そんな瞬間がたとえば嫌いだった先生とか、
大好きだった元彼とか、
バーでイキってきたおっさんにもあるとしたら、
なんて滑稽な世界なんだろう。


泣きながら立ちションしてる私は今この瞬間、
世界一面白いかもしれない。


彼に会ったことは事故みたいなものだった。
けれども彼は確実に、私にちんこを教えてくれたと思う。
私も少しだけ、ちんこがわかってきた。次はもっと優しくできると思う。
自分にも誰かにも。


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