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その辺にいる人・「桜色の風が咲く」を観て②
前回、福島智さんと母・令子さんを題材にした
「桜色の風が咲く」という映画をご紹介しました。
映画の中で
令子さんが自転車に乗り、紐で智さんと身体を繋いで伴走するというシーンがあります。
ふと ある本を思い出しました。
数ヶ月前に読んだ
「手の倫理」という本です。
この本でも同じように
視覚障害者の方と伴走者を紐で繋いで走るという
くだりがあります。
えっ、そんなの怖そう…と思いませんか?
たしかに紐という「あそび」があることで
無理やり走らされるのではなく
自分の意思で走れるかもしれない。
でもきっと不安だろうなと思いました。
でもこの著者の言葉を借りるなら
健常者(=令子さん)の方に「正解」があり
それを一方的に「伝達」するのでは、
つまり、ガッチリ手を繋いで走るのでは
安心はあるけど信頼はない。
つまり令子さんへの信頼を前提として
双方向的にコミュニケーションが成立している。
そして
不安だけれど敢えて、
信頼して身体を預けることで
いつしか不安が安心に変わるのでしょう。
そうは言っても、いつまでも令子さんが
伴走するわけにいかないですよね。
順当にいけば
いつかは令子さんは
居なくなるのですから。
そういう意味で
指点字を考案された意義は大きい🌟
仮に今
ここに智さんと私だけが居て
智さんに何か異変が起こっていても
昔なら私は何もできなかったかもしれないけど
例えばネットに指点字のサイトがあったら
コミュニケーションの糸口になるかもしれない
↓東京盲ろう者友の会のサイト
どんな人でも 独りでは生きられませんが
智さんは尚のこと
人を頼るしかない
それは家族とか友達とかいう
「この人じゃなきゃ」というのだけではダメで
通りすがりの
「その辺にいる人」こそが
何よりの助けになるのです。
当事者研究の第一人者
熊谷(くまがや)晋一郎さんは
「依存先を増やす」ことが大切だとおっしゃっています。
独りで生きていけないのは
誰しも同じ。
私もそうです。
お互いが
「その辺にいる人」にやさしくなれたら
独りで生きるのも
怖くないかもしれません…