村上春樹:羊をめぐる冒険(ネタバレあり)
村上春樹初の長編。
『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』に続く「『鼠』3部作」のラストに当たる小説。
「鼠」は3部作を通して主人公(語り手)の親友として登場する男性のニックネームです。自分の人生を引き受けきれずに放浪する若者…このように描かれていました。『羊をめぐる冒険』は「鼠」の運命に一区切りがつく物語です。
主人公はある人物から「背中に星の模様のある羊」を探すように依頼されて旅に出ます。
(ネタバレあります)
「背中に星の模様のある羊」は、一種の悪霊のような存在です。取り付いた人の脳内に血瘤をつくり、その人の人生を支配する。
その人は国を支配する政治的カリスマになるけれど、自分の自由意志を失う。羊の力で生きて、そして寿命が尽きたら、羊は別の人物に取りつくために離れてゆく。そのようなルールになっています。
主人公の親友「鼠」は、この羊の新しい受け入れ先に選ばれる。けれど彼は自由意志のない権力者として生きるより、邪念「羊」を取り込んだまま自殺することを選ぶ。
この設定は、「権力」と「弱くて自由な個人」のメタファーといえます。
「鼠」は優れた資質を持っている若者。けれど「自分が金持ちの息子であること」を受け入れきれず、さらに「羊」に選ばれて権力者になることを迫られ、政治という「巨大なシステム」のパーツにさせられる前に命を断つ。
「羊」という不気味な権力の象徴と戦うことはしなかったけれど、自分の「無垢」を守り、さらに世の中に、邪悪な支配概念がばらまかれるのを阻止して去っていった。
後年、村上春樹は『壁と卵演説』という形で、「たとえ間違っていたとしても壁にぶつかって壊れる卵、すなわちシステムに押しつぶされる弱い個人の側に立つ」と表明する。
おそらく、その考えは、「システムに取り込まれることを拒絶して死ぬ若者」である「鼠」が創造された頃から、この作家の中にあったものだと思う。
村上春樹はかつて潔癖な「鼠」のように生きていたが、世の中でシステムと戦うと言う生き方を選んだのかもしれない。この世を蝕む「羊」と向かい合って……あるいは「羊」そのものに……
なってなきゃいいですね(ひどいオチ)