カーティス・ハンソン「L.A.コンフィデンシャル」(1994)138分
「チャイナタウン」のエンディングにショックを受け、ボーゼンとしていたらアマプラで勝手に始まったのが本作品である。公開当時は、もう社会人になっていたが、セクシーなキム・ベイジンガー映画という記憶しかなかった。
偶然(なのか?)にも、この2作品には共通点が多い。どちらもロス市警が絡んでいること。大きなスキャンダルが隠されていること。複雑な環境に置かれた魅力的なヒロインがいること。男女の絡みが写真で証明されること、女優が殴られるシーンがあること。そして制作スタッフの性犯罪が問題になったこと等々。結果的に、この2作品を並べたアマプラのセンスにも脱帽という感じである。
ところで先日、ホリプロ社長の堀義貴さんが「映画でも「寄り」の画が増えている。というのも「引き」の広い画を撮るには(警備員など)予算が必要だから」という講義があって、面白かった。一概には言えないけれど、「チャイナタウン」に比べると「L.A. コンフィデンシャル」は、役者といいロケ地といい、「L.A.」の方がはるかに高そうだ。
脚本も「チャイナタウン」よりわかりやすい。物語全体を貫く巨大なスキャンダルを暴くという構図は同じだが、「L.A.」はサイド・ストーリーに若きエリート刑事の成長物語が付随している。ケヴィン・スペイシー、ラッセル・クロウ、ガイ・ピアースという個性的な刑事の面々も面白く、そこはジャック・ニコルソンしかいない「チャイナタウン」の方が、分は悪い。しかも「L.A.」には刑事たちの「男の友情」も描かれる。
それにしてもケヴィン・スペイシーの笑顔のキュートなこと。この笑顔で曲者を演じるのだから、本当にスキャンダルが惜しまれる。
せっかくシド・フィールドの3部構成を学んでいるのだから、その境界となるプロットポイントに注目すると、2作品とも「最初の事件」が解決するまでが「発端(第1幕)」で、せっかく解決したと思ったのに「待てよ」となるプロットポイントな事件が起きて、新たな巨大スキャンダルと向き合う「葛藤(第2幕)」が始まる。そして、巨悪との対決(プロットポイント2)を経て、「解決(第3幕)」に至るのである。このメリハリも「L.A.」の方が、わかりやすい。
驚いたのは、ここでもキム・ベイジンガーが殴られるシーンが出てきたことで、制作スタッフにさえ、喫煙や暴力に敏感なコンプラ的思考は、本当に2010年代以降なのだなと、しみじみ。
見終わってみれば、キム・ベイジンガーは確かにセクシーだが、この作品は巨悪を暴く「正義」の話であり、若き刑事の「成長」と「友情」の物語であり、母を失った男が伴侶を得る「愛」の話であり。
20年の時を経て、ロス市警がらみの映画作品も洗練されたもんだ。って、これ結構、名作なんじゃないか!?