
ラメル・ロス「ニッケル・ボーイズ」(2024)140分
ちょうどゼレンスキーとトランプの酷いやり取りを見て、米国にがっかりしていたところにこの映画は説得力がありすぎた。そうなのだ。間違ったことは何度でも繰り返し指摘しなければならない。追及し続けなければならない。この映画もそういうことだと思う。
先週見た「ブルータリスト」は、ナチスの迫害を逃れたユダヤ人に対する米国社会の冷たさを、そしてこの作品では黒人差別というこれまた米国の根幹にある問題を描いているわけだが、こちらの方が圧倒的に突き刺さった。
「ブルータリスト」の序盤で使われたダッチ・ショットな不安定な構図の「自由の女神」より、黒人青年の揺れる不安定な主観ショットの方が、よほど強かった。この作品の方が、観客に伝えたいもの=不正に対する怒りが、より強くあったからだと思う。
ラメル・ロスはドキュメンタリーを撮ってきた監督だそうだが、揺れる主観ショットだけでなく、細かく計算された映像表現が印象に残る。度々登場するヒモのカットは、黒人の不自由の理不尽さを思い起こさせる。美味しそうなオレンジも、自由な環境と不自由な状況では、違う印象を与える。そして残酷なシーンは、ほとんどがイメージカットで描かれている。その静かな表現形態が逆に真綿で締めるように効いてくる。
キャスティングもしたたかだ。主人公エルウッドを演じたイーサン・ヘリスのまっすぐな怒りの表情と、その親友ターナーを演じるブランドン・ウィルソンの優しい表情の対比。エルウッドの祖母ハーティ役のアーンジャニュー・エリスも素晴らしい。少年院にいるエルウッドに面会に行ったハーティが、エルウッドに会わせてもらえず、代わりにターナーを抱きしめるシーンは感動的だ。
米国も(日本も)政治家の劣化が激しい。しかし、このような作品が出てくる米国の底力はやっぱり賞賛に値する。あとは、トランプの一日も早い退場を望むばかりである。