再燃
「バスケットは好きですか?」
正直言うと、少し気持ちが離れてた時期がある。あれほどまでに好きで、夢中になって、ずっと追いかけていたのに。
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きっかけは、小学生のとき。放課後の校庭でメガネをかけた6年生が1人でシュートを打っていた。
僕は、彼が持っていたバスケットボールに魅せられた。水色と紺色のツートンカラーがカッコよかった。
メガネの6年生に近づくと、彼は僕にバスケットを教えてくれた。こんなにバスケが楽しいとは思わなかった。
それから毎日のように、放課後は校庭でバスケをやった。いつの間にか、何人も集まるようになり、3on3に夢中になった。
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中学校に入ると、迷わずバスケ部に入部した。
スラムダンク、月間バスケット、HOOPが愛読書になった。毎日、バスケのことを考えていた。もちろんNBAにも熱中した。
初めて出会ったNBA選手は、シャーロットホーネッツのケニーギャティソンだった。渋谷のショップのイベントで来日していた。
僕はホーネッツの蜂のTシャツを持って行くことした。ギャティソンは、僕のTシャツにサインをし、そのデッカい手で力強く握手をしてくれた。
NBA選手は、バスケ少年だった僕にとって、現実離れした「夢の世界の人」だった。たとえ、ギャティソンであっても・・・(失礼)。
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1992年のバルセロナオリンピックのアメリカ代表は、ドリームチームと呼ばれた。
アメリカ代表の試合はすべてVHSのビデオに収めた。何度くりかえして見たことかわからない。
今だって、クリスチャンレイトナーから始まるメンバー全員の名前を言える。いや、そんなレベルじゃない。NHKの森中アナウンサーの実況を再現できるレベルだ。
マジックジョンソンもラリーバードもいたけれど、僕が一番好きだったのは、やっぱりマイケルジョーダンだった。
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マイケルジョーダンについては簡単に語れない。みんながそれぞれ好きなジョーダン像があると思うから。バスケの神様だから。ジョーダンの活躍をリアルタイムで追いかけられて幸せだった。
ただ、世の中でマイケルといえば、マイケルジャクソンかもしれない。
マイケルジャクソンの「Jam」。そのPVに、ジョーダンが出演している。
僕はこのPVに出てくるクリスクロスのマネをして、シャツを前後反対に着てみたことがあったが、友達から「おまえシャツ反対だぞ」と注意されて終了した。
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バッシュは、本気だったからアシックスを履いていたが、ジョーダンのバッシュはどのモデルもカッコよかった。僕は、ジョーダン5とジョーダン7を持っていて大切にしていたのだけれど、どちらも加水分解してしまった。ああ、もったいない。
NBA選手のレプリカユニホームも数枚持っていた。でも「23番」だけはなんとなく避けていた。
当時の僕のお気に入りは、ソニックスの40番だった。なぜ、ショーンケンプにしたのだろうか。今となっては謎だ。
でも、今見返してみると、ケンプのスピードとパワーは凄まじいものがある。ペイトンのアリウープパスなんて、適当に放り投げているようにしか見えないし。
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ジョーダンのダンクが1番好きだったけど、僕の中で、ジョーダンと双璧をなすのが、スパッドウェブのダンクだった。
スパットウェブの身長は170cm。その身長で、アリウープからのバックダンクを決めるなんて誰が想像できるだろうか。
ああ、こんなに高く飛べたらなあ。こんなダンクを決められたらなあ。そう思わせてくれる夢のようなダンクだった。
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2000年のビンスカーターはヤバかった。いうなればダンクの破壊的イノベーションが起きた。
360°のウインドミルでどうして逆に回ろうとしたのだろう? 普通だったらそんなことをできるとも思わないし、やろうとも思わない。想像を超えていた。
しかもそれだけで終わらなかったのがカーターのすごさだった。リムに肘を突っ込んでぶら下がったときには、一瞬何が起きているのかわからなかった。痛いでしょ、普通は。
このときの興奮があるから、僕の中で一番のダンカーはカーターなんです。もちろん、個人の意見ですよ。
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バスケを生で観戦すると違った迫力がある。試合があるとなるべく足を運んだ。
ジョーダンを観に横浜アリーナに行ったし、マジックジョンソンが来日したときの試合も観に行った。NBAジャパンゲームは欠かさなかったし、世界バスケは決勝のチケットを手に入れた。
世界バスケの決勝は、スペイン対ギリシャになったけど・・・。しかたがないから、ガソール弟を全力で応援したけど・・・。
日本のバスケは、長谷川誠の時代から応援している。でも、日本代表の試合を生で観る機会はほとんどなかった。実業団の試合を観ていた。
関口を生で観たことがある。デカくてびびった。スラムダンクで河田弟を見たとき、これは間違いないなと思った。
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月刊バスケで、大道中の田臥勇太を知った。田臥が能代工業に進学するとニュースになって、ひと目みたいと、1年生の田臥の試合を山梨まで見に行ったことがある。
どうやってそんなに点をとるのだろうかと思っていたら、スピードが違っていた。コートに足が吸い付いているようで、簡単にディフェンスを交わしていた。ダブルクラッチのようななんだかわからないすごいシュートを簡単に決めていた。
田臥時代の能代工業は常勝だった。ウインターカップを3連覇している。
僕は、幸運なことに、ウインターカップのオフィシャルでスコアラーをやらせていただいていた(公式ですよ)。もちろん能代の試合のスコアもつけた。ただ、能代の試合は、点が入りすぎるから大変だった。
僕がスコアをつけたウインターカップの試合で印象的だったのは、福島工業の渡邉拓馬だった。渡邉拓馬が高校生とは思えないダンクをかましたときは、僕は、思わず得点を書き忘れそうになった。
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だから、田臥がNBAのコートに立ったときの興奮は忘れられない。NBAのコートに立てる可能性がある日本人は彼しかいないと思っていたから。彼はみんなの期待を背負っていた。希望だった。
想像をはるかに超えるプレッシャーと、それ以上の努力があったのだと思う。チャレンジする姿にはいつも勇気をもらっていた。
NBAで得点を決める。それが、どれほどすごいことか。
間違いなく日本のバスケのレベルが上がっていく。そう思えた瞬間だった。
現実離れした「夢の世界の人」に手が届いた瞬間だった。
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でも、気がついたら、いつの間にか僕は、バスケをやらなくなり、バスケの試合も観なくなっていた。NBAはBSであまり放送されなくなり、なんとなく大リーグや欧州サッカーにハマっていた。
日本のバスケも、NBLとBjリーグになってから、好きな選手が別れてしまい、何だか見に行かなくなった。
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「カリーって知っているか? えっ、知らないの? 観た方がいいよ。」
ある日、友人にそう教えてもらった。そのくらいバスケから遠ざかっていた。
カリーのプレーを初めて観たとき、テレビゲームの世界かと思った。こんなゲームのようなプレーができるものかと度肝を抜かれた。と同時に、なぜか、ピストルピートを思い出した。
高校生のとき、ピストルピートのドリルにハマっていた。
ドリブル、パス、ハンドリング、シュートの全4巻からなるピートの教則ビデオがあるのだが、部活の皆でハマって練習していた。決して試合で使えない技術を練習していた。
ピートのパスを試合で使ったらコーチに「何やっているんだ」と怒られた。
僕はカリーを知ってから、再びバスケを観るようになった。やっぱりバスケは面白い。
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そんなもんだから、2016年を迎えたときは純粋にうれしかった。
Bリーグの開幕戦は、感慨深いものがあった。
もちろん、普通に観ても感動するのだけれど、ここに至るまでに積み上がってきた思いがこみ上げてきて、胸が熱くなった。
「ああ、ついにここまで来たんだ」と。
「『夢の世界の人』は現実に今、ここにいる」と。
「追いかけていたものが、もうすぐそばにある」と。
やっぱり夢なのかもしれない。
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結局僕は、バスケが好きなんだと思った。今までは自分がバスケをして楽しんでいたけど、今は、大好きな日本のバスケに少しでも貢献したいと思うようになった。
Bリーグを見に行く。全力で選手を応援する。それが今の僕にできることかなと思っている。
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「バスケットは好きですか?」
「大好きです。今度は嘘じゃないっす。」
ちゃんと観に行きます。
本文中の敬称は省略させていただきました。