リトリートをふりかえる 其の三
日本の夏は、いや、全体化するのは一旦やめるとして、さいたま市しかり、東京周縁の夏は、本当にしんどい。暑さを「暑いからこそ、これがいい」という風に楽しませてくれる「これ」が手/目の届く範囲にない。素麺とカッペリーニと冷や汁ご飯くらい。さらに、大好きなハワイやチェンマイと違って、本当に湿気がエグい。朝晩でさえ涼しくない日が、ほとんど。よし、せめて脳内を飛ばそう。そうだ、ハワイ行こう。ひきつづきのふりかえりです。
ご存知のひとも(多分)多いように、ぼくたちがリトリートを開催した2018年6月のハワイ島は、一にも二にもキラウエア火山の噴火と溶岩流がニュースを——実際なかなかワイルドな様相を呈していたしね——賑わせていた。ハワイ島が「変容の島」などと言われるのは、原始の頃から変わらないその様ゆえ、つまり、この島がわかりやすいほどに激しく変化しているからに他ならない。終わりとはじまりがコインの裏表のようにそこにあり、その裏と表は溶け合って境界ら曖昧を超えて消える。そこで当たり前に変化していく自分と出会う。破壊と創造は、ひとつのことのふたつの名でしかなく、細胞分裂のようにすべては絶えずre-birth:生まれ直しをしている。ヘラクレイトス曰く「同じ川に二度入ることはできない」な無常の、ある種のピークが、ただある。
特に、ぼくたちが好きで、かつ縁もあるプナ地区は、ある種「自分にごまかしの効かない場所」だと思っていて、どれだけ——それこそ無意識にであっても——自分の本質を見ないようにしていても、まざまざと見せつけられることになる土地という印象がある。ぼくが去年、はじめてこの土地に足を踏み入れる前にMikaさんは「破壊と再生のエネルギーに満ちている」と形容していた。時間を過ごせば過ごすほど、そして、足を踏み入れた後の自分の人生をよく見つめる度に、そう思う。ケイコ・フォレストもMika Moonさんもそんな土地に暮らしている。
この前書いた通り、宿泊はできなかったものの、ケイコさんの営むThe Villageに遊びに行くことはできた。数年前にここに来たことがあるYちゃんは、以前はなかったThe Villageに心踊らせる。周りの植物、ケイコさんの手がける庭、建物、その空間にあるすべてのうつくしさと、噴火や溶岩流や地震やガスなどのニュースを賑わした「行けなくなるかも」と思わせた紆余曲折を経て、結果ここにいる導きへの感謝と、単純にケイコさんとゆっくり時間を過ごせる——ふたりは旧知の仲で◎——こと、ゆうちゃんの美味しい料理、夕闇に輝く茜色の空をいつまでも見られたこと、ほかにも色々とスペシャルに満ちていたエトセトラララがあった。とても忙しいスケジュールの中、ぼくたちとの時間を設けてくれて、楽しんでくれたケイコさん、あらためて、どうもありがとう。是非、またチネイザン受けてくださいな。
時間のはずれた時間を過ごした後、暗闇、点々と輝く星々、そしてニュースの報道の色づけの中で、「災害」「破壊」などと一方的にネガティヴに形容されがちなキラウエア火山の噴火の、その中心にある火山の女神ペレの心を映しだす、どこまでも優しい茜色の空を横目に、ぼくたちは宿に帰っていった。地球がいきものであること、自分たちはその一部であることを思い出した夜、赤ちゃんがお母さんの胎内で見ている世界、つまり子宮の内側が茜色であることを、Yちゃんはぼくたちに教えてくれた。地球のコアのマグマが直接外に出てくるというハワイ島の火山。ここは、まさしく地球のおへそ。ぼくたちはかつて赤ちゃんだったとき、人間の赤ちゃんであり、そして、この星の赤ちゃんだった。
この日の午前中、はじめてのチネイザンを受けたときはすこしクラクラして、途中休憩を挟んだりもしたYちゃん、2回目のチネイザンを受けたときには、ペレと話をしたという。夜空に子宮の内部が描かれたかと思えば、マッサージ中にその描き手の女神ペレがやってくる。内と外がつながっていることを再確認した、インナートリップ・リトリートのとある一日。
kentaro
photo by yu makiuchi