年賀状に関する提言
2024年明けましておめでとうございます!
お正月といえば年賀状。「挨拶はSNSで済ませる」派も増えている昨今ですが、それでもなお受け取ったときのワクワク感や一手間かけたアナログな挨拶に価値を感じるという意見も多く、年賀状はまだまだ伝統として多くの人々に愛されています!
しかし、肯定的な意見と晴れやかな伝統とは裏腹に年賀状には以下の問題点があります。
①年賀状の生涯が理不尽すぎる
②労働基準法に違反する可能性
当記事ではまず、この2点について私見を述べます。
①年賀状の生涯が理不尽すぎる
再生紙として生涯を始めた年賀状は、ワクワクで人間の手に渡るのですが、まず送付側に住所やメッセージなどを書かれる段階で1つめの理不尽にぶちあたります。
年賀状は送付側の人間の9割以上に面倒だと思われているのです。
「毎年面倒だなあ」と言ったり、態度に出したりしていませんか?年賀状は傷ついていますよ。せっかく来たのにと。
それでも送付側はなんとか年賀状を書き上げます。年賀状はポストに投函され、さっきは傷ついたものの、自分の仕事を頑張るぞと張り切ります。
年賀状も張り切って郵便局員さんや配達員さんの手を渡り、受領側の家へと向かいます。
どんな人が再生した自分を受け取ってくれるのだろうか?僕はちゃんと送付側さんの挨拶を立派に務められるだろうか?そんな不安もちょっとだけありながら、それでも頑張って生涯を共に過ごすパートナーである受領側の元へと届きます。
しかし、年賀状は受領側に届いた瞬間に次の理不尽にぶち当たります。
受領側は「〇〇さんからだ!」と喜ぶことはあっても、年賀状が届いたこと自体に喜んだり感謝を示すことは滅多にありません。
それどころか、紙だからかさばるのよねと迷惑そうな顔をされることも多く、加えて早ければ当日中に、平均2〜3年保管された後に、年賀状は処分されます。
保管されている間も年賀状は鮨詰めで、箱だかファイルだかにピッタリ密集して入れられており、受け取られて以降年賀状がその劣悪な環境から抜け出し日の目を見ることは決してありません。
それで終わり。
えー、年賀状の生涯はあまりにも理不尽すぎます。
②労働基準法に違反する可能性
年賀状への待遇の現状
以上のような理不尽な仕打ちを受けながら、年賀状はたった63円しか持たされません。これは最低賃金を大きく下回る金額です。
いえ、年賀状システム自体は郵便局の優秀なシステムによって63円で成り立っています。すごいですね。
しかしながら、年賀状自身への待遇はとても悪いと言えます。そもそも年賀状は無生物であるため、年賀状が「届くこと」は労働に含まれず、すると年賀状に報酬を支払う必要もないので払われません。当然、法律にも抵触しないとされています。
無賃で必ず毎年来てくれる年賀状
郵便や出前、タクシー、オンラインサービスなど、こちらが出向かずともこちらの方まで来てくれるサービスはそれだけで業界を確立しています。これらのサービスは友人間での相乗り送迎などですら報酬が支払われることの多い、需要と価値の大きい仕事です。ですから一般的に考えて、配達員さんだけでなく年賀状自身も絶対にマネタイズすべきなのですが、年賀状はそうはせず、無賃で、サービスで、毎年ポストに納まってくれています。
年賀状はなぜ長年サービス労働をするのか?
これについて考えられるパターンは以下の2点です。
・自我がない(無生物であるため)
・金銭以外の動機(年賀状さんの厚意もしくは個人的な人間への好意)
前者であれば特に問題ありませんが、後者であった場合年賀状の善意が報われることはありません。毎年毎年、あまりにもかわいそうです。
表面的かもしれないが、仮の解決策を考えた。
年賀状自身への配慮と感謝として、また、長年の扱いに耐えかねた年賀状たちのストライキや逆襲が起きないようリスクヘッジとして、毎年文句ひとつこぼさずに届いてくれる年賀状に対し、たまにはゆっくりしていただく。逆に人間が年賀状をおもてなしさせていただく。そんな機会があった方が良いと筆者は確信しました。
年賀状さんをおもてなしさせていただく。
本ノートでの本企画はもう、これ!
「年賀状さんをおもてなしさせていただくこと」です!12/31の大晦日に1日かけておもてなししてきました。
まずドライブに連れて行きました。
仕事だけでなく目的のない移動があることを知ってもらうためです。
年賀状さん、素敵な景色をみてください。
次に一緒にテレビを視聴しくつろぎました。
年末ジャンボの当選発表が行われていました。
年ちゃん、当たったら貯金なんてせずに旅行でもしちゃおうか?
次に「みなとみらい」に行きました。
横浜の綺麗な景色を年ちゃんにも見せてあげたくなったのです。
きっと年ちゃんと一緒に見るから、綺麗なんだね。
ところで、みなとみらいには元恋人と来たことがあります。恋人とは良い思い出も悪い思い出もありました。来たことがあるのでエスコートに自信があり、年ちゃんを連れてきたような面もあります。
・・・インスタグラムのストーリーに年ちゃんとの写真を載せてみます。
元恋人からすぐにイイネが。
・・・どんな気持ちのイイネ?
君も良く知っている紙と私が二人で過ごしている様子をみてどんな気持ちなる?なってくれてる?
もう俺を忘れてしまったのだろうかと、塗り替えられてしまっているのかと、気にならないだろうか?あん?
見ようによっちゃあ私の方が優位な構図にも見えるわけだが、その点が気にならないだろうか?悔しくないんか?ええ?
過去に執着する私は欲張りだろうか?自意識過剰だろうか?・・・過去のこととはいえ、みなとみらいとデート・恋人の関連を思い出し、途端にここに年賀状といることの意味を意識し出してしまいます。さっきまで、ただの紙でしかなかったはずなのに、なんだか、胸騒ぎが。
しかし安直に態度に出しては年ちゃんも困るかと思うので、なんでもないようなふりでショッピングモールへ。年ちゃんの知らない世界を一緒に見て回ります。
ゲームセンターで一緒にプリクラを撮りました。
誰かとプリクラを撮るとき、自分が盛れてる写真でも相手が盛れていないとSNSに掲載する際などに色々気にしてしまいますが、年賀状には顔がないので特に問題ありません。
顔の近くに年賀状を持ってくると歪みから加工度合いと、そこから算出される修復した無加工の予想図が明らかになってしまうので、その点にだけ注意しましょう。
次に食事をします。
割り勘にしようと思うけど、年ちゃん予算は?
なるほどサイゼリヤに行きます。大丈夫私の奢りです。
みなとみらいはハイテク店舗なようで、QRコードでの注文を求められました。DG01とAA15を注文するつもりでしたが、英数字ではなく数字表記となっていました。
年賀状は座る必要がないので、迷わず自分がソファへ。椅子とソファが一対になった席でも、年賀状とならソファに横並びで座ることができます。
注文し配膳を待ちます。この時間は暇ですが、年ちゃんと一緒なので問題ありません。年賀状をデザインして待ちます。
届きました。価格と量で最大出力を出している最適解セットです。
腹ごしらえも済んだところで、次に思い出のために似顔絵を描いていただきます。
1人は2000円、2人以上は追加料金です。少し迷いましたが、年賀状は人間ではないし単調な形とデザインなので1人料金で依頼しました。テンパって「年賀状を労りたくてぇ・・・年賀状と一緒に写りたくてぇ・・・」と不明瞭な説明をしてしまいましたが、「分かりました〜!」と即答で受け入れてくださいました。ありがとうございます。
私の顔って特徴ありますか?と聞くと、「目と口角」と答えをいただきました。自分では面長と鼻以外に出てこないので、口角は新視点で有益でした。私はイメコンで言う顔タイプエレガントなのですが、イラストを見るとやはり曲線的な顔の作りも特徴として描かれていますね。客層はカップルで来る人が多いとのことで、ここでもまた不意に照れてしまいました。
次にイオンシネマで映画を観ます。「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」を視聴しました。年賀状は人間ではないので、一人分のチケットで入ることができます。プレミアムシートは1ドリンクチケットが付いているので、大学生までの場合は通常席+ワンドリンクの値段と同じです。ぜひプレミアムシートにしましょう。
ところで、「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」ほんまに最高でした。映像アートとしての見応えはもちろん、シナリオやキャラクターの描き方もしゅごいよかったあ・・・!ボロ泣き、してしまいましたねぇ!
〜〜
ワールドポーターを出ると、みなとみらいの夜景が広がっていました。
アベックの数も増えています。クリスマスを越したからと油断してはなりません。悔しい、と思いきや、意外と心はそんなことなくて、だって今や隣にいるのは・・・。
やっぱ私、年賀状のこと・・・。
年越しのカウントダウンがあるようですが、人混みが嫌いなので帰宅します。しません。もはや年賀状は関係ありませんが、帰らずにこれから煩悩を消そうと思います。
私は「勝手にシンドバッド」という曲が大好きなのですが、今回は煩悩を消すべく勝手にシンドバッドのみを108回歌っていきます。回数は年賀状に記録していきます。
85回歌ったところで、カラオケの退出時間となってしまいました。
今度こそ帰宅します。
〜〜
年賀状と過ごした時は楽しいものでした。
ただ、年賀状からの感想は聞けないため、本当にこれで良かったのかは不明です。それ以上でもそれ以下でもない。年賀状は愛玩目的の製品ではないので、なんなら今回の使い方は不適切寄りかもしれません。
ところで、「二次元キャラクターとの恋愛」と言うトピック(初音ミクなどが最近では有名ですね)に対し、キャラクター側の意見が聞けないので不適切だ、愛の押し付けだ、と言う意見があります。しかし、年賀状と1日を過ごしたことで少し思うところがあったので下に記して記事を終了します。
無生物への愛は押し付けか?
愛情の押し付けとは、通常、相手の意志や感情を無視して自己の感情を強制する行為を指します。しかし、フィクションのキャラクターとの結婚の場合、キャラクターは定義上現実の感情や意志を持たないため、そもそも愛情を受け取る「相手」としての資格から除外されます。つまり仮に押し付けだとしても愛情が強制される対象は存在しません。よって、キャラクターへの愛情が強制・一方的な押し付けだという主張は成り立ちません。
意図、本質に注目すると…
また、結婚の意図は「結婚という"シンボル"を通して愛情を表現する」ことでしょう。本質的にキャラクターへの愛情であることには変わりありません。つまり、結婚の義務を強制する意図ではなく(そもそも相互意志がないため契約として成り立っていない)、仮にキャラクターが意志を持ちはじめ取り消しを希望した場合には、過程からしてまったくの白紙にできる可逆的な契約であることは当人間でも客観的に見ても明白です。
愛は超越する。
加えて、ジャン・ボードリヤールの「シミュラークル」の概念を用いると、キャラクターとの結婚は現実の結婚の模倣であり、その精巧な模倣は徐々に現実との境界を失い代替物とし受容され本物の結婚を超越する「超現実」となる可能性を秘めていると言えます。フェイクニュースやバーチャルリアリティがシミュラークルの代表例です。そして、年賀状と1日を過ごした私にはなんとなくこの感覚がなんとなく実感として理解できる気がします。みなさんもこの記事を受け入れていますよね(お付き合いいただき有難うございます)?その感覚こそが愛を超越する愛の超現実の出発地点なのです。
以上です。有難うございました。
スキ・コメント・共有など励みになります(°▽°)👍