【思いを正しく伝えられない人向】3歳児に学ぶ生活のすすめ
こんにちは、浮田です。
言葉で伝えることって大切ですよね。
とはいえ、なかなかできないものだと思います。
仕事場で理不尽に怒られたとき。
もっと厄介なのは、100%理不尽とは思えずに、
自身にも非があると感じてしまい、もやもやするとき。
このような事象に直面した時、
なかなか言葉に出して、自分の考えることを意見できないのが普通だと思います。
ここでスカっとするような物言いをする自分を夢想するものの、
もはやそれは自分ではないでしょう。
大人の自分も違うレベルはありますが、同じこと悩んでるわと思うのです。
「あなた、この仕事、おわったつもり?」
「あ、ハイ」
(・・え?2日前にこの方針で行くってはなししたよね?
期待値に届いてないってことだよね?だよね。そうだよね。
手をぬいたつもりもないけど、前回指摘してくれればよいのに。
前回は完成度低すぎて指摘に至らなかったってことか?
もう時間もないけどどうしろと?修正加えることを求められている??)
もやりますよねぇ。私が悪いのかな?と思ってしまう点含め、
もやりますよね。
この事象、ほぼほぼ3歳児と同じなんですよね。
このような事象にあまた直面する人生です。
私は以下に取り組んでいます。
ーもう、言葉では伝えられないことを前提に自身をとらえなおす
事後のタラレバ、やめられませんよね。
「あのときこういっていたら」「もしこの人に確認できていたら」
でもそれあなたとわたしの実力です。
先述の3歳児みたいなものです。言葉でレスポンスできないことを前提に予定を組みましょう。
「不満や意見まとめたらこの時間に伝える」など10分でよいですから、
あらかじめ時間を設けています。
そこの時間までに伝えることができなかったのなら、それは自分にとってオーバーワークと捉えなおしましょう。
心に余裕ができますし、運が良ければですが、
わたしが3歳児にしたように、相手もこちら側の意図を組む努力をしてくれたりします。
ー子供に存分に言い訳をさせる。
子供が良からぬことをしたとき、言い訳をさせる隙をあたえています。
そして、親である自分が失敗したときに言い訳をするようにしています。
恥ずかしかった話や私が立場上悪いであろう話も含め、いわゆる赤裸々に。
人はみなバカではありませんから、自分のために行動します。
その自分のための行動が残念ながら失敗につながった時、存分に言い訳します。「こう思ったから、こうしたのに~、うまくいかなかった。人からこういわれた。」など。まったく格好良くない。
子供は親は完ぺきではないのだ、親と自分は違うことを考えていいのだ、と思うらしく、なにかとアドバイスをくれます。
子供自身が自我を捉えるきっかけとなればよいのです。
言い忘れましたけれど、
そもそも(たとえ暴論でも)他者の意見に「確かに」と思える感度は、いうまでもなく素敵な能力ですよね。ではまた。