ワーママ的 名もなき家事第1位 毎日布団を片づける
子供が生まれるまでずっとベッドを使用していました、浮田です。
最近、布団を毎日片づけることができていて、気持ちいいです。
このことについて、お話ししたいと思います。
我が家の就寝体制は長女・私・次女の川の字です。
そして1人1組の布団。
生まれる前、喜び勇んでベビーベッドを購入した私ですが、
その使い勝手の悪いこと悪いこと。
新生児は泣き、泣かれると私はあやしますし、
母乳も与えていましたので、
なかなかの頻度でベッドから自身の上半身を起こし上げ、
腕力・背筋力をもってしてベビーベッドから5キロ前後のわが子を抱き上げる。
それなりの重労働、そして気遣い作業でした。
そして、行きついたのが万年布団。
布団を敷き、
母子のさまざまなやり取りを身体の横スライドで行うことを可能にしました。あぁ快適。その名残で、いまも布団3組が川の字なわけです。
新生児の頃は、そもそも子は座れませんから、万年布団上等。
母子で体を休めるシチュエーションも多々。
一方、すでにこども園へ入園している現在のわが子たち。
どう考えても、毎日起床後、布団が片づけられるんですよ。
でも、ワーママ時代にそれができませんでした。
そして、私は布団を上げられない自分にストレスを感じていたのです。
もっというと、布団を上げられずストレスと感じている自分が、
世の中から過小に評価されていることに苦しく思っていたのです。
問題は心の方。
主に家事全般に言えることですが、正直やったってやんなくたってどちらでもよい。そして世の中も、その風潮。
家事のアウトソースだって流行っているし、
よく「これをやらなくても*なない」的なフレーズも耳にします。
実際問題、布団なんて片づけたって、片づけなくたってどっちでもよい。
問題は「やりたいこと」が「ままならない」こと。
そしてその「やりたいこと」は人ぞれぞれ違うということ。
わたしがやりたいことが世間に過小評価されているようで苦しい。
「布団を片づけたくて、ワーキングマザーを辞めました」というと、
「まじか、やばいな」というリアクションをされるだろうということは、
私にも想像がつきます。
でも、そうなんですよね。
家事自体が過小評価されているという話ではなく、
家事をやりたい私、この私の考え方が世の中的に評価されないという話。
「家事が好き」だったり「家事が上手」とはまた違う。
ただ、自分が気持ちよく過ごす環境を整えることをしたい。
「やりたい」と思う気持ち。
自分が好きなワークライフバランスでという割には、
このライフの側面を満たしたくて、
ワークを辞めるとぎょっとされるんですよね。
結局、潜在的に「ワークの方が大事でしょ」と言われているように
わたしは感じるわけです。
私だってワークが大切なのはわかっている。
ただ私にとって「今回、ワークは重すぎたのよ。」と言いたい。
布団が片づけられることを条件に、仕事を探したいと思います。
これぞネオダイバーシティー