見出し画像

今電話大丈夫?って、大丈夫のカツアゲじゃん

 電話に出たときに「今電話大丈夫?」的な質問を投げかけられることが苦手だ。
時間的に話す時間があるのかや、タイミング的に公共交通機関などを利用していないかという意味では、大丈夫じゃなかったら電話に出ないし。
うっかり出てしまったのだったら、こちらから「今電車内だから降りてからかけ直す」とか言える。
 質問に対し「大丈夫」と答えてしまったら、準備していない話題についても話さなきゃならなくなる気がして、非常にプレッシャーがある。
先に要件を言ってくれれば、今それについて話せるかの判断ができるけれど。

 会った人に「いつも元気だね」と言われることがある。元気がないときは本当に元気がないので、人と会えない。つまり人と会っているときは元気があるときだけという循環論法なのだが。
 あなたは元気のない私を見せられる相手ではないという事実をつきつけるのも申し訳ない気がして黙っている。
 いわゆる「セクシャルマイノリティなんていないでしょ。俺カムアウトなんてされたことないし」的なことを言う輩の如く、信頼されてなさを自ら告白する形になっている。無論、私の元気のない姿を見せる見せないはそこまで深刻な問題ではないのだけど。
 言わずもがななことと、言ったほうがいい・聞いてみたほうがいいことの判断は難しい。自他の境界の話ともつながるかもしれない。
サリー・アン課題ほど顕著な形ではないが、自閉症の診断を受けていない人でもサリー・アン課題の変形を失敗する人はいる。

 社会人経験、というか雇われて働いた経験が少ないから、会議で「お手元の資料に書いてあります通り」って言っちゃいけないらしいと聞いてびっくりした。
そもそもどこでこの台詞を聞いたのだろう。合理的配慮が必要ないだけで、意外と発達障害特性の片鱗のある人は多い。
人にやさしくと言うけれど、まさに「気が狂いそう」なほど「やさしい歌が好き」なんだよな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?