最後の晩餐は「麻婆豆腐」と決めてはいるが…
数ヶ月に1度、仕事で訪れる土地がある。
その際、必ず訪れる中華料理屋があり、そこの麻婆豆腐が、私の中では辛さと美味さのバランスがちょうどよく、
人生最後に食べたいものが麻婆豆腐で有名な私は、人生最後の麻婆豆腐は、60キロ程離れているが、この店にデリバリーをお願いしようと現時点では思っている。
最初は、仕事関係の人におすすめされて、その中華料理屋を訪れた。
鉄鍋で提供される常に熱々の麻婆豆腐で、辛さも、ただ辛いだけでなく、旨みも感じる、私にはちょうどいい辛さで、絶品である。
初訪問から数ヶ月後、またもその地を訪れた時の昼食は、そこに決めていた。
むしろ、仕事が、その店で麻婆豆腐を食べるついでだったまである。
数ヶ月ぶりに食べたその麻婆豆腐は、変わらず絶品で、遠方での仕事ではあったが訪問した甲斐があった。
そのまた数ヶ月後、麻婆豆腐を食べるついでに仕事で訪れた際、恒例の麻婆豆腐を食べた。
「はいはい、これこれ」と数ヶ月単位ではあるが恒例行事となっている、イベントをこなす感覚で昼食を終えた。
先日、死ぬ直前に食べることになっているでお馴染みの麻婆豆腐を食べたのだが、
「ん?こんな感じやったっけ?」
と、なった。
変わらず熱々で美味しいのだが、初めて食べたほどの感動はなかった。
遠方やし、死の直前のUberはもっと近くの店にしようかなと思うようになった。
実は家の近くにも気になる麻婆豆腐の店があって、
「馴染みの麻婆豆腐こそ至高なのだ」
と、再認識するか、
「死ぬ直前に食べる店が変わる」かのどちらかになるだろう、
ということで先日、行ってみた。
その家の近くの店は、辛さを追加できる店で、まずは最初ということで、辛さの追加はせずに注文した。
めちゃくちゃ美味しかった。
それはそうである。
死ぬ前の最後の食事を麻婆豆腐にするつもりなので、大体の麻婆豆腐は美味しく食べられるのである。
辛さの追加をしなかったので、「もう少し辛さは欲しかったな」と感じたので、死ぬ直前に頼む店に変化はなかった。
その3日後、2辛に辛さを追加して再び食べに行ってしまった。
2辛がプラス100円だったので、貧乏性の私としてはもったいない感覚もあったが、
この頻度で、この店にも通ってしまうと飽きること容易に想像できたので、
「せめてもの変化を」と、思い、泣く泣く100円で辛さを追加した。
そんな気持ちで、辛さに課金をしたものなので、
「まだ辛くできたやん」と、
デフォルトが美味しかったはずなのに、課金した分の感動がないという、コスパばかりを考えてしまう、現代人のよくないところが顔を出してしまった。
そして先日、1週間ぶりに、早くも3度目の訪問を果たした。
次は3辛にチャレンジした。
3辛はプラス150円だったが、150円の課金とは考えず、
「この麻婆豆腐は1250円なのだ」と、自分に言い聞かせて注文した。
この思考が功を奏したのか、
「食べられるが辛い」という最高の辛さで麻婆豆腐を楽しむことができた。
恐らく、次に遠方のお気に入りの麻婆豆腐屋さんに行くと、また新鮮な気持ちで食べられる気がする。
この頻度で食べても、麻婆豆腐自体には飽きていないから、死ぬ前に食べたいものは、変わらず麻婆豆腐だと思う。
家の近くの店に次行く時は4辛にチャレンジするつもりである。
その店の辛さは、1辛から∞までと表記されており、まだまだ辛さの課金をすることは可能のようだった。
4辛が食べることができれば、5辛になるだろう。
その次が6辛で、次は7辛。
死ぬ前に麻婆豆腐食べたいってよりは、
辛い麻婆豆腐食べて死ぬほうが先になるかもしれない。
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