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自己中心的な自己否定の中で生きてる

このところずっと、ひたすらに惰眠を貪るだけの生活をしている気がする。

休職6週目。
最近はほぼ同じような日々の繰り返しだ。
基本的に一日中家から出ず、ゲームに没頭するか、知らぬ間に寝落ちするか、鬱々とした思考の渦に溺れるか。そんな具合で時間を消費している。

何もやる気が起きない、と言いながらも、本当に何もしていないことに対して虚しさや悲しさ、罪悪感を抱いている。

休職せざるを得ないほど心身が追い込まれていたのだから、堂々と休めば良い。と思ってはいるものの、さすがにこのままでは駄目だと焦りも感じる。それでいて、「頑張らなければ」と思いたくはない。自分はもう頑張れない。頑張れないことを許してほしい。許されていると思いたい。

私は本当に恵まれた人間だと思う。
長期間休職させてもらえて、仕事からずっと離れられている。そのことを周囲も肯定してくれている。友人や家族は本当に優しくて、私はずっとその優しさに甘えてばかりだ。申し訳ないとも思うが、心から感謝している。
恵まれた環境があってこそ、私は真に休むことができている。

それなのに、どうしてもネガティブになってしまう。なんとなく憂鬱で、時折涙が溢れてきて、脳内の言葉も自分が発する言葉も暗く淀んでいる。そんな毎日だ。

最近、また食欲のない日が増えてきた。
こんなに休んでばかりいるのに、心身共に不調続きなのだ。むしろ、休みすぎているせいなのかもしれないが。

特に夕食の前後の時間帯は、マイナス思考に囚われることが多い。
「疲れた。何もしてないのに」
「自分は無能な人間だ」
「何もできない。何もしたくない」
「うまく生きられない。人生不安すぎる」
そんな言葉を口にしてしまう。鬱々とした思考が止まらなくなって声になって溢れてしまう。

自分を否定する言葉を発することで、感情のバランスを保とうとしているのかもしれない。自分の中の何かを守りたくて、自分を言葉で刺したくなるのだ。 
自分勝手で、傲慢なことだと思う。

そんな自分に対して「生きているだけで充分だ」と言ってくれる家族の存在は、本当に救いだ。
きっと私が自分を否定するのは、誰かに自分を肯定してほしいという欲もあるのだと思う。本当に我儘だ。
でも、その我儘を叶えてくれたら、やっぱりちゃんと救われる。

それでも鬱々とした思考は、いつでもすぐに頭をもたげて私を支配してしまうけれど。

だけど今は、「生きてるだけで充分だ」と自分にも言い聞かせて、息をしていくしかないのだろう。
いつか、少しでも前を向けるようにと祈りながら。