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退職1ヶ月後 つかの間の安寧?

約1ヶ月前に、会社を辞めることが決まった。
数日かけて手続きを行い、上司とのやり取りも終え、会社の連絡ツールも削除した。

もう、完全に退職したのだ。
晴れて無職の仲間入りである。

休職すること3ヶ月以上。新卒で入社してから約半年間での退職。
そんなことが許される環境で良かったな、と思う。
時代だな、とも感じる。

前々から退職をずっと望んではいた。しかし、それを会社に伝えるという心理的ハードルと、本当にこのまま職を失っていいものかという迷いと、何より諸々の手続きを含め「面倒くさい」という感情に打ち勝てず、先延ばしにすることの繰り返し。
あるいは、「その先」のことを考えたくなくて、「休み」という現状を手放したくなかったという気持ちもあっただろう。現状維持バイアスに負けていた。

しかし、家にいて「休み」続けていても何だか落ち着かないことばかりだった。
心のどこかにずっと圧がかかっているような。
何かが胸に引っかかっているような。
うっすらと靄がかかった気持ちを抱えて、今日でも明日でもないところを見て生きる。そんな毎日。

現状を変えられれば。「休職」ではなく「退職」できたなら。そうすれば、きっと気持ちも落ち着いて心の霧も晴れるのではないか。そう思っていた。

実際、退職直後は少し気分も軽くなっていたと思う。

とにかく手続きが面倒で、泣きながら書類を書いたり上司に連絡したりしていた後だったこともあっただろう。
別に大変な手続きではなかったし、上司や人事の方は最後まで優しくて、辞めると決めた後も「良い会社だったんだろうな」と思っていた。ただ自分のストレス耐性が余りにも弱くて、「退職の為にやらねばならぬ事」に対して苦痛を感じてしまっていただけである。

しかしそんな手続きも終わり、正式に退職もできた。
ストレスの根源となっていた事象から離れることができたのだから、それはもう気持ちも明るくなるはずである。

だが、そんな心の安寧も長くは続かなかった。

退職から間もなく、体調を崩した。
シンプルに風邪である。家族からうつった。
数日ほど喉が終わっていたが、まあ数日で回復した。
それは良かったのだが、間もなくまた風邪症状に苦しめられた。

夜、突然吐き気に襲われたのをきっかけに、数日間ほど嘔吐の症状が続いたのだ。一日中吐き気がある状態がほとんどで、食事もろくに摂れない。
風邪による吐き気なんだか空腹による気持ち悪さなんだかわからないような時間を耐え、地獄を乗り切った。

体調は最悪で、もう二度と味わいたくない苦痛ではあったのだが、その間は自分のことや未来のこと等でうだうだと悩むことはなかった。そんな余裕など微塵もなかったからである。
今この瞬間の己の苦痛に耐え、生きねばという気持ちだけで呻いていたような状態だったのだ。

そんな風邪も、数日前に完治した。

普通に食事ができるようになった日はあまりにも嬉しくて、食の喜びとそれを味わえる感謝の気持ちでいっぱいだった。
これまであまり食に関心がない方だと自負していたが、もっと食に対する興味とリスペクトを持たねばと反省した。その気づきを得るために必要な苦難だったのかもしれない、と思った程である。

体調が回復して喜ばしい限りではあるのだが、「元気になった」ということは、「余計な思考」が働く余裕も生まれてしまったということである。

またしても、情緒不安定期に突入した。

別に、一日中悲しかったり虚しかったりする訳ではない。
ただ、なんとなくそわそわして落ち着かなかったり、突然ちょっとしたことで自分を責めたくなったりしてしまうのだ。

やりたいことは沢山あったはずなのに。それをやれるだけの時間も十分にあったはずなのに。なのに、何もできていない。それにまた悲しくなる。

本当は何がしたかったんだっけ。
このまま何の責任も負わずに、自堕落に生き続けて良いはずない。
でも何もしたくない。

頭の中がぐるぐるする。

結局、私は何を変えられたのだろう。
退職して、環境を変えたとて、自分自身の根本が変わらなければ、心の霧は残り続けるのではないか。
そもそも、ずっと休職を続けてそのまま辞めただけなのだから、環境も大して変わってはいないのだ。

ただ、それでも。後退したわけではない。
大きな前進、とは言い難いかもしれないが、きっと前よりマシにはなったはずだ。そう信じたい。

まだ退職して1ヶ月。だからこそ、比較的気楽でいられるのかもしれない。
情緒は不安定とはいえ、心の底では「まだ何もしなくても大丈夫だ」と思っているのだろう。きっと。

今だけだ、とも思う。
きっとつかの間の安寧なのだ。不安と悲しみと虚しさの波はあっても、まだ窒息するほどではない。息はできる。

未来が怖い。
半年後の自分は、ちゃんと前に進めているのだろうか。
進むべき道は見えているのだろうか。
自分の足で歩けているのだろうか。

どうか少しでも、これからの自分が楽な呼吸で生きていけますように。