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宿題が不快なワケ

おはようございます。
ゆです。

今回は「宿題が不快なワケ」というテーマで話していきたい。きっかけは、通院してる歯医者の受付の女性の、「子どもが宿題を嫌がってる」という相談をされたことだ。

知識を得る手段としての宿題。それ以上でも以下でもない。

そもそも一般に宿題は何のためにやるんだろうか?おそらく「授業で定着し切らなかった知識を、反復することで定着させるため」だろう。漢字練習とか、計算ドリルとか。長い目で見た時に、計算はできたほうがいいし、漢字は知っておいた方がいい。

ただ、「知識を身に付ける」という目的を達成するために、「課された宿題をする」という方法を取ることが、その人に合っていないなら話は別だ。

相談を受けた女性の子どもは、宿題がイヤすぎて翌朝までしないそうだ。で、朝起きてイヤイヤ宿題を終わらせて登校する。その「家に帰ってから翌朝登校するまで「この、めんどくさい宿題を終わらせなきゃ…」という観念に囚われる」ことのストレスがどれほど負担になっているか…その時間がどれだけ無駄か。

ぼくはその方にこう言った。「別に答え教えてあげてもいいんじゃないですか?宿題の仕組み自体、ちゃんとやってる風に提出すれば先生に怒られるたりしないんですから」と。後から考えるとぼくは、「知識・スキルの習得のために宿題という方法が合っていないなら、やめた方がいい。そのストレスのせいで他の時間のパフォーマンスが落ちるなんてバカバカしい。宿題はのらりくらり躱しといて、別のストレスフリーな方法を探せばいい。その方がトータルで見た時にトクをしてる」と伝えたかったんだと分かった。

来週も通院する。結果はどうなるかなー。楽しみだ。

「宿題」は、「宿題」を出す先生の無能の証明なのかもしれない

「宿題」という方法が合ってないなら別の方法を探した方がいいとしたら、「宿題を全員に課す」「宿題をやらない生徒にキレる」「それによって宿題の強制力を上げる」ことは愚かだ。

それを「宿題」としなければいい。「この知識・スキルを身に付けたい、もっと磨きたいならこの作業をやった方がいい」とだけ伝えればいい。「宿題という方法が肌に合わない生徒」「内容自体に興味がない生徒」には強制させない方が、トータルで見た時のパフォーマンスは上がるはずだ。ストレスが少ないんだから。

一度少年野球の手伝いを行った時の話をする。「足が速くなるトレーニングをして、トレーニング前後のタイムを計測して足が速くなる実感を得る」という取り組みを行った。そしてトレーニング内容の書かれた紙を渡して、「強制はしない。ただもっとやりたい人、足が速くなりたい人はお好きにどうぞ」的なことを伝えた。何人かの子どもは、その顔を見れば、その日にやったトレーニングを家でもやるであろうことは明白だった。

その時に、「宿題を出す先生は無能なのかもしれない」と思ったんだ。「時間内に「もっとやってみたい」「もっと知りたい」という気持ちを引き出せず」「あまねく全員に強制して」「あまつさえ忘れてきた子どもには怒鳴りつけて」「恐怖で支配する」。誇張しすぎたかもしれないが、半年間教育現場にいた経験に基づいた描写だ。思い出しただけで腹立ってきた。

まあ「宿題を出す先生は無能なのかも」っていうのはぼくの意見だから、ほどよく聞き流してもらえれば幸いだ。まあ教育指導要領にも「宿題は課せられなければならない」とは書いてないけど。

その方法を一度やってみて合わないなら、違う方法を探すのが大事という話。

じゃあまたねー!

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