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一日一頁:芦名定道ほか編『学問と政治 学術会議任命拒否問題とは何か』岩波新書、2022年。
ようやく読み始めた。
なぜ学問の自由が必要なのか。不要であれば世の中はグロテスクになってしまうからだ。
時間がなくても1日1頁でも読みないことには進まない。
誤解してはいけない点は、憲法二三条の学問の自由は個人が好きなことをやってよい自由とは異なる、ということである。国家によって妨げられることなく好奇心に基づいて研究を行なう個人的な自由は、思想信条の自由や表現の自由に含まれるのに対して、学問の自由は、学問を担う人たちが自分たちのやってよいことと許されないことを決める自律の上に成り立つ自由なのである。核兵器をつくる自由や遺伝子操作の自由は、社会のしくみの中で行なわれる限り、憲法上の権利として保障される個人の自由ではなく、専門家の自律的な判断によって、その範囲や方法が決められる自由なのである。
こうした自律的判断が政治に従属すると、学術は戦争遂行の手段や政治と癒着した企業の利潤追求の手段にされることになる。そしてその結果は、原子力技術や公害問題などの歴史が示しているとおり、たいへん恐ろしく、またグロテスクである。
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