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一日一頁:堀江宗正「訳者あとがき」、トニー・ウォルター、堀江宗正訳『いま 死の意味とは』岩波書店、2020年。
現在の死のあり方を批判的に考察する最新の「死の社会学」を紐解きながら、つよく腑に落ちるのは「訳者あとがき」。
アカデミズムの世界においても(根拠のない)「日本スゴイ」は後を立たない。もちろん訳者のいう通り著者は慎重に退けている。しかし、課題は実際のところは暴力的側面がふんだんに散りばめられえた「美点」を「ウォルターが理想的だと感じる規範の実践や実現は、本書を受け取った日本人に委ねられた課題だと言えよう」というシンプルな話だ。
容易に「何人」はすごい、あるいは悪いという前に、「おまえはどうなんやねん」というシンプルな話に横着する。
私はウォルターにメールで、日本人の甘えや思いやりを理想化しすぎではないか、介護殺人なども起こっている、と指摘した。彼は、これまでにも何人かの研究者から同様のことを指摘されたが、自分は日本の実態がどのようになっているかを論じているのではなく、日本人の規範について論じているのだ、と答えてくれた。
実は、日本の生命倫理や死生学の言説にも、近代西洋にないものとして日本人の生命観や死生観を特別視したり、理想化したりする傾向がある。そのような傾向を持つ読者は、本書の日本の取り上げ方を喜ばしく思うかもしれない。しかし、関係的自己ひとつをとっても、支え合うという正の側面だけでなく、集団の圧力という負の側面がある。本書では自殺は扱われないが、家族や会社に迷惑がかかるからという理由でなされる自殺は、関係的倫理の負の側面を示すものである。生き恥をさらさずに潔く死ぬのが日本人の死生観だという言説も、病む人や障害を持つ人に大きなプレッシャーとなりうる。生き死にのあり方を文化や社会規範の恣意的流用で正当化することは、暗黙の強制につながりうる。
日本の死をめぐる実態の批判的解明、とくに家族や医療・介護の従事者による暴力の調査研究、そしてウォルターが理想的だと感じる規範の実践や実現は、本書を受け取った日本人に委ねられた課題だと言えよう。
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