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一日一頁:ジョン・ロバートソン、野原慎司、林直樹訳『啓蒙とはなにか 忘却された<光>の哲学』白水社、2019年。
啓蒙とは果たして「近代の超克」で議論された、あるいはアドルノ、ホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』
で突かれた安っぽい文明/野蛮の二項対立なのか。
思うに否である。
他者と協働しながら漸進していくための光〔しるべ)である。
それゆえ、ここまではるばるやって来た私たちは、啓蒙が引き続き問題であると自らに言い聞かせるような真似は行わない方がよいのである。想像力を用いて啓蒙思想家たちの概念言語を再構成するだけで、彼らが出会った諸問題を認知するだけで、そしてそれらの問題に対する彼らの応答のオリジナリティを正当に評価するだけで、私たちは自分自身の思想をより豊かにすると同時に、人間の営為を理解する方法がいかに多様であるかをより深く自覚することができるのだから。それは思想史家たちが探し求める過去の今日性とは異なる。それは、私たちが現在使用しているものとは異なる用語法によっていかに問題が定式化され、処理され、概念化されたかを理解しようとする挑戦にひとしい。
啓蒙思想について特に興味深い事柄は何か、と言えば、来世とは関わりなくこの世界を変容させるとともに、何が「進歩」を形づくるのかについても思案しようとする、その志向性の存在であった。啓蒙の世界と二十一世紀の私たちの世界とのあいだには、あまりに多くの人災が横たわっているがゆえにこそ、進歩に向けた、そして人間の境遇改善に向けた啓蒙のコミットメントは、私たちの包容力に対する挑戦ともなりうるのである。いまでは啓蒙は私たちの頭上に影を投げかけることしかできないとしても、それは引き続き熱心に研究され理解されるに値するし、その知的業績との格闘も継続されるに値しよう。
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