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一日一頁:エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(西谷修監修、山上浩嗣訳)『自発的隷従論』ちくま学芸文庫、2013年。

だからじぶんが変わるしかない。

この小著の眼目は、圧政が支配者(しばしばただ一人の者)自身のもつ力によってではなく、むしろ支配に自ら服する者たちの加担によって支えられると論じた点にある=訳者解説。

時間がなくても1日1頁でも読まないことには進まない。

 よって、次のように言おう。人間においては、教育と習慣によって身につくあらゆることがらが自然と化すのであって、生来のものといえば、もとのままの本性が命じるわずかなことしかないのだ、したがって、自発的隷従の第一の原因は、習慣である。だからこそ、どれほど手に負えないじゃじゃ馬も、はじめは響を噛んでいても、そのうちその轡を楽しむようになる。少し前までは鞍をのせられたら暴れていたのに、いまや馬具で身を飾り、鎧をかぶってたいそう得意げで、偉そうにしているのだ。
 さきの人々(生まれながらにして首に軛をつけられている人々)は、自分たちはずっと隷従してきたし、父祖たちもまたそのように生きてきたと言う。彼らは、自分たちが悪を辛抱するように定められていると考えており、これまでの例によってそのように信じこまされている。こうして彼らは、みずからの手で、長い時間をかけて、自分たちに暴虐をはたらく者の支配を基礎づけているのだ。しかし、実のところ、年月は決して、悪い行いに正当性を与えたりはしない。かえって不正を募らせるものだ。

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(西谷修監修、山上浩嗣訳)『自発的隷従論』ちくま学芸文庫、2013年、43-44頁。

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氏家 法雄 ujike.norio
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。