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一日一頁:斉藤慶典『デカルト 「われ思う」のは誰か』講談社学術文庫、2022年。

読み始めた。

「対話とはすべて、死者の骸との対話」(18頁)であり、「思考はつねに死を介した営み」と著者は言う。平板な「近代的自我」の確立というデカルト像を更新する恐ろしい論考である。

時間がなくても1日1頁でも読みないことには進まない。

 確認しよう。自らの人生とすべての学を支えるに足る何か「絶対的に疑うことのできない」ものを発見すること、たとえすべてが疑わしいものだとしても、すべてが疑わしいというそのことだけは「確か」だと言いうる地点に到達すること、これこそがデカルトのすべての対話を駆り立てた原動力であり、そのような「絶対的に疑いえない」もののみが「真理」の名に値する。哲学とはこのような意味での真理の探究なのである。そしてこのような真理を求めて飽くことなく対話を積み重ねること、可能ならばそのような真理に支えられて自らの生を導くこと、それがよりよく生きること、すなわち「よき生」なのだ。かくして今や、次のように言ってよい。デカルト哲学の導きの糸は「真理」であり、かつそれに基づいた「よき生」なのである。

斉藤慶典『デカルト 「われ思う」のは誰か』講談社学術文庫、2022年、27ー28頁。


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氏家 法雄 ujike.norio
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。