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一日一頁:スラヴォイ・ジジェク、中山徹訳『真昼の盗人のように』青土社、2019年。
相変わらずジジェクのレトリックは痛快というほかないがギミックに惑われないように読み進める必要がある。
つまりは、だ。
いかなる立場を取ろうが、イデオロギーから自由になれというシンプルな話だ。
「リベラリズムか、原理主義か、どっちもくたばれ」
社会の根本的な変化は、どのように起こるのだろうか。断じて意気揚々とした勝利としてではないし、あるいは、メディアでひろく議論され予測されているような大惨事としてでさえない。そうではなく、それは「盗人が夜来るように」起こる。「あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない」(「テサロニケ人への第一の手紙」第五章、第二―三節、日本聖書協会訳)。これは「平和とセキュリティ」にとりつかれた今日の社会で、すでに起こっていることではないか。しかし、よくみれば、変化はすでに真昼のうちに起こっていることがわかる。資本主義は公然と崩壊し、公然と別物へと変化しているからだ。われわれがこの進行中の変化に気づかないのは、イデオロギーにどっぷりつかっているからである。
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