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一日一頁:若松英輔『不滅の哲学 池田晶子』トランスビュー、2013年。



専門バカを徹底的に嫌悪し庶民のなかで考えることの大切さを実践した池田晶子さんの言葉に寄り添いながら、自ら考えることの意義を問い直す労作。

哲学は机上ではなく生活に実在している。

 真理は遍在する。だから、それは必ずしも言語によって開示されるとは限らない。
 色彩や旋律、あるいは衝撃、また静かなまなざしや光の「応え」として経験される。
 私たちがしばしば、考えの果て、言語の論理の彼方に光を発見するのはそのためだ。
 また、考える先に答えなどないことを予感しながら、そこに満たされた「応え」を全身で認識する。解答はない。ただ、応答だけがある。
 悩むとき、人は自分という小さな意識のなかに閉じ込められている。だが、考えるとき、私たちは魂として生きている。魂としてあることを実感する。それを私たちは、「幸福」と呼んできたのではなかっただろうか。「われわれの幸福は、そう思っているよりも、はるかに深くあり得ることを、われわれは忘れているのではなかろうか」(『あたりまえなことばかり」)と池田はいう。
 幸福を見つけるために、私たちがまず突き破らなくてはならないのは、何ものかに作られた幸福という概念、あるいはいつの間にか自分で作り上げてしまった幸福の条件である。幸福は、条件を必要としない。それはすでに与えられていて、人間によって見出されるのを待っている。

若松英輔『不滅の哲学 池田晶子』トランスビュー、2013年、148-149頁。


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氏家 法雄 ujike.norio
氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。